10年を超える会社勤め
長い人生のなかでは決して長い時間では無い
だけど、嫌気が差して…
周りの反対も押し切って会社を辞めた

このご時世、ずっと同じ会社に居たって将来が約束されている訳じゃ無い
就職活動はそれなりに大変な思いをしたし両親は残念がっている
だけど、休みの日も仕事に追われてただ日々が過ぎていく、そんな人生がこの先も続くと思うと耐え切れなかった



「休みが無かった分貯金は当面足りるだけは有るし…
退職金も有る
まだ30代だから何とかなるよな」



学生時代は自由を謳歌していたのに、いつの間にか型に嵌ってしまっていた
気が付いたら世間の流行りや流れからも取り残されていた事に、会社を辞めて初めて気が付いた
それにしても…



「…暑い…」



貯金と退職金
元手はあるから取り敢えず度に出ようと思った
自由になりたくて、新しい世界を見たくて
仕事を探すのはそれからで良い
そう思ってノープランでやって来たのがここ…タイ王国だ



暑さには弱くないし、今は雨季だから少し涼しくもなると聞いた
ひとが優しくて食べ物が美味くて…
物価も日本より安いから気が済むまで過ごせると思った

だけど、到着したのが昼間だったからか、むわっと身体に纒わり付く空気に早速やられてしまった
柔な方では無かった筈なのに、長いオフィス勤めが俺を弱くしたのかもしれない



「……はあ…」



自由を得るのは簡単では無いのかもしれない
なんて思いながら漸く辿り着いたホテルの部屋のベッドに突っ伏した
取り敢えず一週間、このホテルを予約している
後は…適当に宿を変えて新しい世界を見て自分の糧にしようと思う



一泊2500円のホテル
だけどベッドは寝心地が良くて、倒れ込んだらもう起き上がれなくなってしまった



「…起きたら考えよう…」



ゆっくりと瞼を閉じて、不安と期待を胸に意識を手放したり














「……ん……」



目が覚めて、腕を動かしたらスマホがあった
一瞬ここがどこか分からなかったけれど、タイにやって来たのだと気付いた

時刻を見たら夜の11時
道理で腹が減った訳だ
財布とスマホだけ持ってホテルを出た



「…ガイドブック…持って来たら良かったかな」



スマホがあれば何とかなるだろう
そうは思っても知らない街は少し不安
だけどそれだって、若い頃は新しい世界に飛び込むのもなんて事は無かった
いつの間にか臆病に、守りに入ってしまっていたのだろう

ここはシーロム地区
雑然としているし、決してとても綺麗な高級住宅街では無い
けれども活気があって悪くない

ホテルの近くにも沢山レストランがあったから、適当な店に入ってタイ料理を食べた
辛いものは特別得意な訳では無いけれど、辛さは控えめで香辛料が効いている所為か、腹に入れるとどんどん腹が減って、何品も頼んでしまった



「…ふう…少し散歩するか」



なんて、誰も聞いている訳じゃ無いしそもそも日本語なんてきっと通じないのに少しかっこつけてしまった
本当は…この近くに歓楽街が有るのだと知っている
タイに行くと親しい友人達に話したらこの辺りがおすすめで楽しめるのだと教えてもらった

風俗だってサラリーマンになりたての頃は経験として何度か通ったけれど、時間に余裕がある時は彼女が居たし、最近はもう彼女どころでは無く仕事に忙殺されていて、そんな楽しみすら忘れていた



「…この辺りか?…凄いな…」



スマホの地図を見ながらレストランから数分歩いて、思わずごくりと唾を飲み込んだ
光るネオン、現地の人間だけで無く日本人らしき男女や他にも人種が入り乱れている通り
道に迷っているのは俺だけじゃないような気がして安堵した
そして何より、歓楽街に胸が踊る自分が恥ずかしいけれど、それ以上に俺もまだまだなんだって思えて安堵した







その通りには左右に開放的なバーのような店が連なっていて、カフェテラスのようなテーブルには男女と、そして男同士でも肩を寄せ合うカップルのような姿が見られた

俺は興味は無いけれど、タイは性的少数者に理解の深い国だと言う事は知っている
日本だと男同士が外で肩を寄せ合って…
なんて冷たい視線を投げ掛けられかねない
けれども彼らは幸せそうに笑っている



「…っ…」



思わず見てしまったら、カップルらしき男性ふたり組ににこり、と微笑まれて慌てて顔を逸らした

なるべく初めてだと知られないように、慣れた素振りで視線だけで通りに連なる店を眺めた
女性と見紛う男性が客引きをする店
クラブらしき店の半分開いた扉からは下着姿の女性達が踊る光景が見える
目が合うと日本語で
「お兄さん、見るだけだから!」
なんて手招きする
そんな所は日本と変わらないし、何より日本語で話し掛けられるから友人のようにこの場所に来る観光客は多いのだと知れた



「…まあ、怖いところじゃ無いよな?」



ホテルにクレジットカードを置いて、財布には少し多めに現金を入れて来た
もしも何か惹かれるような女性が居れば…なんて思ったんだ



ゆっくりと歩きながらタイの夜の街に溶け込んで行く
色々な人間模様が見られて何だか胸が踊る
少し狭い通りを抜けて開けた道に出た時、左手にとても綺麗な女性が立っていた
目が合うとロングドレスの女性はふわりと微笑んで、それから手招きをする



「え…俺…?」



思わず自分の顔を指差したら頷くから、近付いた



「お兄さん、見ていかない?」

「…あ…」



けれども、声で男性だと分かった
勿論、というか…差別をしたい訳じゃ無い
だけど、幾ら美人でも男だと思うとそれだけで恐れをなしてしまう

片言の日本語で「入って」と言う彼女…に断りを入れようとしていたら、すぐ傍の扉が開いて別の男がやって来た



「丁度ショーが始まったところだ
うちは日本人の客も多いし日本人のダンサーも居る
見ていくだけで良いから」



今度はもう少し流暢な日本語
だけど、現地の人間で…そして、顔を上げて看板を見たら店名は『TWILIGHT BOYS』と書かれているからやはりというか…
男同士の『そういう店』なのだと確信した



「いや、あの…俺は女性が好きなので…」

「大丈夫、そういう男も、それに客は女の子も居るから」

「そういう問題じゃ…」



絶対に良い思いをしようと思ってこの通りに足を踏み入れた訳じゃ無い
だけど、冷やかしのようにして入店して金を使いたい訳でも無い
それなのに…



「大丈夫、ワンドリンクも付いてるし何よりこの店なら日本語も通じるから」



美人なドレスの男と、それからキャッチらしき男に両腕を掴まれて、「YES」と答えるしか無かった











「…うわ……」



価格はワンドリンク付きで約1600円
タイの価格からすれば決して安い訳では無いけれど、日本で何か風俗やショーの見られる店に入ると思えば安い

何よりこれも経験だ、と入店したら少し時代を感じるミラーボールの眩さに目を細めた

クラブのように大音量で音楽が流れて、店内は小さなステージとそしてソファ、テーブルが幾つか並んでいる

少し照明を落とした店内には日本人らしき男性が数人と、タイ人らしき男性が数人
彼らは皆ステージの前を見つめていてそして…



「…っ、まじかよ…」



思わず声が出て、慌てて口を噤んだ
これも経験、と思い店内に入ったけれど、ステージで踊るのは面積のとても小さな下着だけを身に付けた男性ダンサー達

5人の男性がスポットライトを浴びて、ステージ前の男達を誘惑するように脚を広げたりポーズを取ったりしている

なかにはダンサーに腕を伸ばして裸のダンサーに抱き着いたりキスをしたり…
刺激的、というよりも俺からすれば少し恐ろしいような光景が繰り広げられている

見て良いものなのかも分からなくて、カクテルを頼んで一番端のテーブルでグラスを傾けて酒を煽った



「少ししたら出よう…」



幸か不幸か、客は皆ダンサーに夢中だしダンサーも目の前の客を誘惑してお互いに楽しんでいる様子
きっと、遠目で見ているだけでも良いのだろう
酒だけ飲んで綺麗な女性の居る店に…
そう思っていたら、数メートル前に立つ客の男達がわっ、と歓声を上げた



「え……」



思わず顔を上げて固まった
男になんて興味は無い
裸同然で踊るなんて…
多分、女性でも直ぐには受け入れられない気がする
それなのに、
「チャンミン!」
とコールされて登場した黒い下着姿の男から目が離せなくなってしまった

大きな瞳、オリエンタルだけど彫りの深い顔立ち
下着姿だから確かに男だと分かる
化粧だってしていない
それなのに、薄く付いた筋肉や長い手脚、どこか中性的な雰囲気とそして…



「…え…」



『チャンミン』と何度も呼ばれているから、きっとそれが彼の名前なのだろう
客の殆どがチャンミンを見て手を伸ばしているのに、彼はステージから降りてこちらへ歩いて来た



「…日本人?それとも韓国人?」

「…住んでいるのは日本…君は…?」

「僕も同じ、今はもうここに越して来たけど…
何だか懐かしい匂いがする」



テーブルに肘をついて立っていたら、その横にしなだれかかるようにして身体を擦り寄せる



「あの…ちょっと近い…」

「え?ここは最後まで出来るのに
こんなんで近い、なんてお兄さん面白いね
名前は?」



薄い胸、膨らみなんて無い
だけど、その中心で主張する薄桃色の突起はつん、と立ち上がっていてそれが何故か…
女性よりも興奮した



「…ユノ、だ」

「僕はチャンミン、よろしく、ユノ…」



長い腕が伸びて首に巻き付く
薄いTシャツの上にチャンミンの胸が触れて、まるで10代の学生の頃のようにどきどきした



「ユノの事気に入ったんだけど…僕を買わない?
それとも…ここでする?」



ステージを見ていた男達がこちらを見て悔しそうな顔をする
それに…どこか愉悦感を抱いてしまった
男なのにつるりとした肌
そして果物のような甘い香り



腰が擦り寄せられて、熱い昂りを感じたけれど不快感どころか…



「ユノも固くなってる」



こんなに大胆な癖に含羞んだように微笑まれて、新しい世界に飛び込んでみようと思った
















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「My sweet blanket」
更新予定だったのですが、タイで訪れたゲイストリートでホミンちゃんのお話が膨らんでしまって…
突発で更新してしまいました

このお店は実際にあるお店を舞台にしており、店名は変えてあります
地名等は実在のものです

もしも連載を待ってくださっていた方がいらっしゃれば申し訳ございませんショック!


読んでくださりありがとうございます