1935年5月15日~。
日本のシンガーソングライター、俳優、演出家。
長崎市内でカフェを営む家に生まれるが、戦時の情勢で閉店せざるを得なくなり、父親は金融業へ転業。
長崎への原爆投下当時、10歳だった美輪は、爆心地から約4㎞の自宅におり無事だったが、その後爆心地近くにあった生母の実家に一人で祖父母を探しに行き、惨状を目の当たりにする。
戦後に見た映画に出ていた加賀美一郎のボーイソプラノに衝撃を受け、ピアノと声楽のレッスンを受け始めた。
15歳にはオペラ歌手・コンサート歌手を夢見て高校進学のため上京。
しかし17歳で父親の会社が倒産し、高校を中退。
新宿駅で寝泊まりしていた17歳の頃に銀座のシャンソン喫茶での専属歌手デビューを果たし、国籍・年齢・性別不詳として売り出した。
デビューから5年で、フランスのシャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーし大ヒット。
しかしブームは1年で鎮静化し、その間に雑誌で同性愛者であることを公表したり、旧来の蝶よ花よに終始する「おシャンソン」にはなかった、自ら訳詩をした生々しい内容のシャンソンを歌ったことなどから人気は急落。
このころから作詞作曲の活動も始めるが、なかなか理解を得られなかった。
更に、洗面器に大量の吐血をするなど、原爆の後遺症にも悩まされる。
1964年にレコード化した「ヨイトマケの唄」がその2年後に注目され、人気が再燃。
その後俳優として舞台に出演したり、脚本や演出も手がけ、現在も精力的に活動している。
1971年までは本名である「丸山明宏」として活動していたが、1971年、読経中に「美輪」の文字が浮かび、神様が下さった名前だと思い調べると、完全無欠な画数だったため改名した。
~~~~~~~~~~
正直に言うと、苦手でした。
小さいころから時々テレビで見かけてたけど、なんだか得体の知れない感じが怖くて…。
でも大人になって、こうして人となりを少しずつ知って、すごい人なんだなあと思い始めた。
ヨイトマケの唄は、きっと私なんかは深いことは理解できていないのだろうけれど、それでも胸を締め付けられる何かがあるし、若いころの姿は中性的で本当に綺麗。
この人の舞台は映像でもあまり見たことがないけれど、本人の出演する姿も、演出している作品も、
いつかちゃんと観てみたいと思う。