2024年度春季号 その8
6月8日の「ホメーロス研究会」の様子です。今回は『イーリアス』第二歌172行目から197行目までです。
前回の箇所の終わりで、アテーネーはオデュッセウスのところにやって来ていました。その箇所を再掲します。
εὗρεν ἔπειτ᾽ Ὀδυσῆα Διὶ μῆτιν ἀτάλαντον
ἑσταότ᾽: οὐδ᾽ ὅ γε νηὸς ἐϋσσέλμοιο μελαίνης
ἅπτετ᾽, ἐπεί μιν ἄχος κραδίην καὶ θυμὸν ἵκανεν: (2-169~71)
すると知謀において神にも並ぶオデュッセウスを見つけた
突っ立っているのを。彼は櫂座よき黒塗りの船に
とりついてはいなかった、悲しみが彼の心を襲っていたのだ
171行目に ἄχος の語が出ています。ἄχος は「悲しみ」の様な意味ですが、この時オデュッセウスにはどんな ἄχος が襲っていたのでしょうか。
1.アカイア勢が大挙して逃げ帰ろうとしたので悲しんだ
2.そもそもアガメムノーンの「試し」に不同意だったところ、「試し」が実行されたので悲しんだ
3.自分自身が望郷の念にとらわれて悲しんだ
1は最もありそうではありますが、アカイア勢の(逃げ帰ろうとする)反応は当初想定の範囲内であり、悲しんでいたりせずに(そして今回の箇所で出てくるアテーネーの言葉を待つまでもなく)すぐ引き留めにかからないのは何故か、という疑問が湧きます。
2は、不同意ならばオデュッセウスともあろう者、参謀会議でその旨意思表示したはずです。
3の本人の望郷の念は、『オデュッセイアー』のオデュッセウスならともかく、『イーリアス』の彼にはそぐわないようです。
ということで難問です。あるいは1と2を併せて「一応想定していたとはいえ、混乱の度合いが想像以上だった、自分がアガメムノーンの無用の『試し』を止めるべきだった」との忸怩たる思いでしょうか。
さて、アテーネーはオデュッセウスに言います。
σοῖς ἀγανοῖς ἐπέεσσιν ἐρήτυε φῶτα ἕκαστον,
μηδὲ ἔα νῆας ἅλα δ᾽ ἑλκέμεν ἀμφιελίσσας. (2-180,1)
そなたの優しい言葉によって各人を引き留めなさい
両端の反った船を海に引き入れるに任せてならない
ヘーレーのアテーネーに対する指示の言葉(164,5)そのままです。アテーネー実行を彼に託したわけです。
ここで繰り返される σοῖς ἀγανοῖς ἐπέεσσιν の言葉について研究会では、「オデュッセウスへの言葉(180)としては相応しいが、アテーネーへの言葉(164)としてはどうか」との疑問が出されました。たしかに、神なら命令すればいいのではないか、とは言えそうです。ヘーレーは(そして詩人は)あるいは、アテーネーがこの役割をオデュッセウスに託すことを見越して、オデュッセウスに対して使うであろう言葉を先取りして使ったのかもしれません。
また、この繰り返しにはアテーネーとオデュッセウスの殆ど一心同体であることが如実に出ています。
アテーネーの促しを受けたオデュッセウスの反応はこうです。
ὣς φάθ᾽, ὃ δὲ ξυνέηκε θεᾶς ὄπα φωνησάσης,
βῆ δὲ θέειν, ἀπὸ δὲ χλαῖναν βάλε: τὴν δὲ κόμισσε
κῆρυξ Εὐρυβάτης Ἰθακήσιος ὅς οἱ ὀπήδει:
αὐτὸς δ᾽ Ἀτρεΐδεω Ἀγαμέμνονος ἀντίος ἐλθὼν
δέξατό οἱ σκῆπτρον πατρώϊον ἄφθιτον αἰεί: (2-182~5)
そのように言った。彼は女神が声を上げて言ったことを聞きわけた
走り出した、上衣を脱いで投げた。それを拾い上げた
彼につき従っていた伝令のイタケー人エウリュバテースが
彼自身はアトレウスの子アガメムノーンの面前に行って
彼から永久に朽ちない父祖伝来の王錫を受け取った
上衣 χλαῖναν を脱ぐのは、身動きの邪魔にならないようにだと思われます。さすがオデュッセウス、そうとなった時の行動は迅速かつ的確です。
183行目の
βῆ δὲ θέειν, ἀπὸ δὲ χλαῖναν βάλε: τὴν δὲ κόμισσε
については、研究会で「躍動している」との感想がありました。たしかに情景が目に浮かぶようです。
186行目で王錫を受け取りに行ったのも、深慮が働いています。全軍の長たる王の発言の(少なくとも表向き)逆を行こうとしているのですから。
そして帰還に逸る軍勢を引き留めにかかります。
ὅν τινα μὲν βασιλῆα καὶ ἔξοχον ἄνδρα κιχείη
τὸν δ᾽ ἀγανοῖς ἐπέεσσιν ἐρητύσασκε παραστάς:
δαιμόνι᾽ οὔ σε ἔοικε κακὸν ὣς δειδίσσεσθαι,
ἀλλ᾽ αὐτός τε κάθησο καὶ ἄλλους ἵδρυε λαούς: (2-188~91)
誰か王侯や貴人に出会う度に
傍らに立ってその者を優しい言葉で引き留めた
「どうしたのか、そなたを卑怯者の如くに脅すのは相応しくない
しかし自らは腰を下ろして他の兵士者達を座らせよ」
189行目の δ(ε) について Willcock は apodotic δέ であると註を付けています。すなわち、ホメーロスに特徴的な並置文構造の一環として、帰結文に用いられる δέ です。
同じ189行目に ἐρητύσασκε と反復を表す未完了過去が用いられています。「そういう者に出会う度に」の意味が読み取れます。
190行目の δειδίσσεσθαι については解釈が分かれています。
1.自動詞ととり、そなた σε が「怖じ気をふるう」(呉、高津等)
2.他動詞ととり、そなた σε が「(皆を)怖れさせる」(ピエロン)
3.他動詞ととり、私オデュッセウスが「(そなたを)脅す」(松平、Willcock 等)
ἀγανοῖς ἐπέεσσιν(189)で語りかけていることから言うと、第3の解釈が最も自然であるように思えます。
次回ホメーロス研究会は6月15日(土)で、『イーリアス』第二歌198行目から223行目までを予定しています。