2024年度春季号 その5
5月18日の「ホメーロス研究会」の様子です。今回は『イーリアス』第二歌99行目から122行目までです。
兵士達が集合するとアガメムノーンが皆の前に立ちます。
・・・ ἀνὰ δὲ κρείων Ἀγαμέμνων
ἔστη σκῆπτρον ἔχων τὸ μὲν Ἥφαιστος κάμε τεύχων.
Ἥφαιστος μὲν δῶκε Διὶ Κρονίωνι ἄνακτι,
αὐτὰρ ἄρα Ζεὺς δῶκε διακτόρῳ ἀργεϊφόντῃ:
Ἑρμείας δὲ ἄναξ δῶκεν Πέλοπι πληξίππῳ,
αὐτὰρ ὃ αὖτε Πέλοψ δῶκ᾽ Ἀτρέϊ ποιμένι λαῶν,
Ἀτρεὺς δὲ θνῄσκων ἔλιπεν πολύαρνι Θυέστῃ,
αὐτὰρ ὃ αὖτε Θυέστ᾽ Ἀγαμέμνονι λεῖπε φορῆναι, (2-100~7)
・・・ アガメムノーン王は
錫杖を執って立ち上がった、それはヘーパイストスが骨折って作ったもの
ヘーパイストスはそれをクロノスの御子たる王ゼウスに奉り
そしてゼウスは使いの神たるアルゴスの殺し手に授け
ヘルメイアース神は馬を駆るペロプスに授け
そして今度はペロプスは人々の王たるアトレウスに授け
アトレウスは死ぬときに羊多きテュエステースに残し
そして今度はテュエステースはアガメムノーンに持つようにと残した
102行目から四行、いずれも第三脚に δῶκε、δῶκε、δῶκεν、δῶκ᾽ と連ね、105,6行目には ἔλιπεν、λεῖπε と並べ、定型的詩行をもってアガメムノーンにつながる錫杖=王権の系譜が語られています。
104、5行目にある Πέλοψ はペロポネソスの地名の由来となる王名です。
アガメムノーンの王権については、ネストールがアキレウスとアガメムノーン間の諍いの仲介に立ったとき、アキレウスに対してこう言っていたことが想起されます。
μήτε σὺ Πηλείδη ἔθελ᾽ ἐριζέμεναι βασιλῆϊ
ἀντιβίην, ἐπεὶ οὔ ποθ᾽ ὁμοίης ἔμμορε τιμῆς
σκηπτοῦχος βασιλεύς, ᾧ τε Ζεὺς κῦδος ἔδωκεν. (1-277~9)
そなたぺーレウスの子よ、王と争おうとなさるな
力尽くで、というのも同じ名誉を与えられているのではないのだから
ゼウスが誉れを与えられる錫杖持つ王というものは
このように σκηπτοῦχος βασιλεύς たるアガメムノーンは格別の地位を占めていました(もっともアキレウスはその体制を肯んじてはいませんが)。
アガメムノーンの全軍を前にした演説がはじまります。
ὦ φίλοι ἥρωες Δαναοὶ θεράποντες Ἄρηος
Ζεύς με μέγα Κρονίδης ἄτῃ ἐνέδησε βαρείῃ,
σχέτλιος, ὃς πρὶν μέν μοι ὑπέσχετο καὶ κατένευσεν
Ἴλιον ἐκπέρσαντ᾽ εὐτείχεον ἀπονέεσθαι,
νῦν δὲ κακὴν ἀπάτην βουλεύσατο, καί με κελεύει
δυσκλέα Ἄργος ἱκέσθαι, ἐπεὶ πολὺν ὤλεσα λαόν. (2-110~5)
おお仲間達、ダナオイの勇士達、アレースの伴達よ
大いなるゼウスは私を重い迷妄におとしいれられた、
酷い方だ。彼の神は、前には約束し承諾された
私に構えよきイーリオスを攻略して帰還することをだ
しかし、今や悪しき欺瞞を企まれた。私に命じられるのだ
多くの兵士達を失った揚げ句不名誉にアルゴスに戻ることを
113行目の ἐκπέρσαντ᾽ は、同行の不定法 ἀπονέεσθαι の主語として、対格形ἐκπέρσαντα(με=アガメムノーン)と考えられます。
114行目から次行にかけて、「(ゼウスは)私に命じられるのだ/多くの兵士達を失った揚げ句不名誉にアルゴスに戻ることを」と言っています。勿論これは嘘です。ゼウス(の使いである夢)は逆に「(ゼウスは)そなたに命ぜられた、髪長きアカイア勢を武装させよと/すぐさまにだ、というのも今こそ道広きトロイア人の町を攻略するであろうから」(2-65、6)と言っていたのでした。
アガメムノーンはゼウスのお告げを偽って嘘をついているのですが、実は自分がゼウスの嘘に騙されていることを知りません。そのアガメムノーンが「(ゼウスは)今や悪しき欺瞞 κακὴν ἀπάτην を企まれた」(114)と言っています。この「悪しき欺瞞」の言葉をアガメムノーンは何を指して使っているかというと、続く115行目のδυσκλέα Ἄργος ἱκέσθαι, ἐπεὶ πολὺν ὤλεσα λαόν を指していると思われます。すなわち「偽りの夢」のことではありません。しかしアガメムノーンは知らず知らずゼウスに騙されていることを言い当てています。この点に関して研究会では「事情を知っている聴衆・読者がアイロニーを感じ取る箇所だ」との指摘がありました。
アガメムノーンは演説の中で更にこのようなことを言っています。
ὃς δὴ πολλάων πολίων κατέλυσε κάρηνα
ἠδ᾽ ἔτι καὶ λύσει: τοῦ γὰρ κράτος ἐστὶ μέγιστον.
αἰσχρὸν γὰρ τόδε γ᾽ ἐστὶ καὶ ἐσσομένοισι πυθέσθαι
μὰψ οὕτω τοιόνδε τοσόνδε τε λαὸν Ἀχαιῶν
ἄπρηκτον πόλεμον πολεμίζειν ἠδὲ μάχεσθαι
ἀνδράσι παυροτέροισι, τέλος δ᾽ οὔ πώ τι πέφανται: (2-117~22)
彼の神(ゼウス)は多くの町の頂を滅ぼされた
これからも滅ぼされるであろう、彼の神の力は最強である故
後世の人に知られることは恥ずべきことだ
無駄にこれほどの強力で多くのアカイアの軍勢が
成果無き戦闘を戦うことは
少数の者に対して、(戦いには)終わりが見えないのだ
最強のゼウスは多くの町を滅ぼす、しかも我軍は質量共に相手を圧倒している、云々。これらの言辞は、演説の目的としているはずの退却の呼びかけに(すんなりとは)つながりません。アガメムノーンがこんなことを言うのは何故でしょうか。この疑念については、演説はまだ続きますので、次回に改めて検討したいと思います。
次回ホメーロス研究会は5月25日(土)で、『イーリアス』第二歌123行目から146行目までを予定しています。