ホメーロス研究会だより 697 | ほめりだいのブログ

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2023年秋季号 その22

 

1月20日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌396~420行目までです。

 

アキレウスはテティスに「息子を護るべくゼウスに頼んでほしい、あなたがかつてゼウス助けたことがあるのなら」と言って、続けます。

 

πολλάκι γάρ σεο πατρὸς ἐνὶ μεγάροισιν ἄκουσα

εὐχομένης ὅτ᾽ ἔφησθα κελαινεφέϊ Κρονίωνι

οἴη ἐν ἀθανάτοισιν ἀεικέα λοιγὸν ἀμῦναι,

ὁππότε μιν ξυνδῆσαι Ὀλύμπιοι ἤθελον ἄλλοι

Ἥρη τ᾽ ἠδὲ Ποσειδάων καὶ Παλλὰς Ἀθήνη: (1-396~400)

というのもあなたが父の家でしばしば得意で話すのを聞いたからです

黒雲を呼ぶクロノスの御子のために

神々の中で一人だけ酷い破滅を防いだのだと

他のオリュンポスの神々が彼の神を縛り上げようとした時に

ヘーレーやポセイダーオーンやパッラス・アテーネーが

 

396行目の σεο は(次行の εὐχομένης を従えて)ἄκουσα の属格目的語であり、πατρὸς μεγάροισιν にかかる所有の属格です。

πατρὸς は具体的には「アキレウスの父ぺーレウスの」を指しています。どこの家庭でもありそうな、子供を前に自慢話をしている母親の姿が浮かびます。

400行目に ἭρηΠοσειδάων そして Ἀθήνη の名が挙げられています。これは示唆的で、詩篇の進行上巧みな伏線をなしています。ここでは過去の敵としてなのですが、いずれアカイア方贔屓の三神として、テティスの嘆願を受けたゼウスの意向と激しく対立することになるからです。

そして更に続けます。

 

ἀλλὰ σὺ τόν γ᾽ ἐλθοῦσα θεὰ ὑπελύσαο δεσμῶν,

ὦχ᾽ ἑκατόγχειρον καλέσασ᾽ ἐς μακρὸν Ὄλυμπον,

ὃν Βριάρεων καλέουσι θεοί, ἄνδρες δέ τε πάντες

Αἰγαίων, ὃ γὰρ αὖτε βίην οὗ πατρὸς ἀμείνων: 

ὅς ῥα παρὰ Κρονίωνι καθέζετο κύδεϊ γαίων:

τὸν καὶ ὑπέδεισαν μάκαρες θεοὶ οὐδ᾽ ἔτ᾽ ἔδησαν.

τῶν νῦν μιν μνήσασα παρέζεο καὶ λαβὲ γούνων (1-401~7)

そこで女神よ、あなたは赴いて彼(の神)を縛めから解いたのです

すぐさま高きオリュンポスに百手の巨人を呼んで

それをブリアレオーンと神々は呼び、人々皆は

アイガイオーンと呼ぶ、その巨人はというと力でその父をも凌いでいたので

 巨人は栄光に喜んでクロノスの御子の脇に座した

それを至福の神々は恐れてもはや(ゼウスを)縛ることを得なかった

今それらのことを彼に思い起こさせて脇に座り膝にすがってください

 

403行目から次行にかけて、神々による呼称と人間による呼称が異なる「百手の巨人」が出てきます。神々と人間とで呼び方が異なる例は『イーリアス』で他にも丘や河、鳥の名称について見られます。この現象は何に起因するのでしょうか。Dübner は「古い詩で使われた呼称と一般に流布していた呼称とであり、詩は神により霊感を得たものとみなされていた」と説明しています。あるいはその説と繋がるかも知れませんが、「先住民族の呼称と渡来民族の呼称」という可能性も考えられそうです。

404行目に οὗ πατρὸς とあります。ΒριάρεωνΑἰγαίων の父親が誰であるかについては、異説もあるようですが、ポセイダーオーンであるとする説に拠るのが文脈からは一番自然です。高津註ではその説に立って同行の αὖτε について「Briareos の父である  Poseidon が神々と共にゼウスを負かしたが、所が『今度 αὖτε』はBriareos の方が  Poseidon より強いという意味である」としています。

そしてこの「力でその父をも凌ぐ βίην οὗ πατρὸς ἀμείνων」のモチーフは、ΒριάρεωνΑἰγαίων とアキレウス自身を重ね合わさせます。というのもテティスから生まれる子は父親をしのぐとの予言の伝承があったからです。そして更に、ΒριάρεωνΑἰγαίων は先のアカイア方贔屓の三神を押さえつけたと言うのですから、アキレウスの懇願内容を象徴してもいます。

404行目からの四行には音調の上での遊びも窺えます。すなわち、

Αἰγαίων, ὃ γὰρ αὖτε βίην οὗ πατρὸς ἀμείνων:

ὅς ῥα παρὰ Κρονίωνι καθέζετο κύδεϊ γαίων:

τὸν καὶ ὑπέδεισαν μάκαρες θεοὶ οὐδ᾽ ἔτ᾽ ἔδησαν.

τῶν νῦν μιν μνήσασα παρέζεο καὶ λαβὲ γούνων

です。

さてアキレウスの懇願内容です。

 

τῶν νῦν μιν μνήσασα παρέζεο καὶ λαβὲ γούνων

αἴ κέν πως ἐθέλῃσιν ἐπὶ Τρώεσσιν ἀρῆξαι,

τοὺς δὲ κατὰ πρύμνας τε καὶ ἀμφ᾽ ἅλα ἔλσαι Ἀχαιοὺς

κτεινομένους, ἵνα πάντες ἐπαύρωνται βασιλῆος,

γνῷ δὲ καὶ Ἀτρεΐδης εὐρὺ κρείων Ἀγαμέμνων

ἣν ἄτην ὅ τ᾽ ἄριστον Ἀχαιῶν οὐδὲν ἔτισεν. (1-407~12)

今それらのことを彼の神に思い起こさせて脇に座り膝にすがってください

どうかしてトロイア勢に加勢する気になり

彼らアカイア勢を艫と海辺のところに追い込むようにと

殺しながら(追い込むようにと)、皆が王の恩恵を享受するために

そして広く統べるアトレウスの子アガメムノーンも思い知るために

アカイア勢の最高の者を尊敬しなかったという彼の迷妄を

 

アカイア勢について κτεινομένους(410)とまで言っています。そして、同行のἐπαύρωνται βασιλῆος も勿論彼らに対する辛辣な皮肉です。この点が研究会でも話題となりました。

「アガメムノーンに対しての怒りは当然ながら、味方の兵士達についてここまで容赦なくなれるものか」

「アキレウスは怒りのあまり我を忘れているのではないか」

「アガメムノーンの横暴を咎める自分に誰も加勢しなかったことを怒ってのことだろう」

「先にアガメムノーンはアキレウスに対し οἴκαδ᾽ ἰὼν σὺν νηυσί τε σῇς καὶ σοῖς ἑτάροισιΜυρμιδόνεσσιν ἄνασσε(179,80)と言っていた。アキレウスとしては、ミュルミドーン人以外のことは知るものか、の気持ちだったのだ」

「アカイア勢は諸部族の連合軍であり一体というわけではなかったのではないか」等々。

それにしてもここでアキレウスの非情さは際立っています。これもアキレウスの否定しがたい一面です。

テティスは応えます。

 

ὤ μοι τέκνον ἐμόν, τί νύ σ᾽ ἔτρεφον αἰνὰ τεκοῦσα;

αἴθ᾽ ὄφελες παρὰ νηυσὶν ἀδάκρυτος καὶ ἀπήμων

ἧσθαι, ἐπεί νύ τοι αἶσα μίνυνθά περ οὔ τι μάλα δήν: (1-414~6)

おおなんと言うこと、息子よ、どうしてあなたを不幸にも産んで育てたのでしょう

船端で涙なく悩みもなく留まっていられたら良いのに

というのもあなたの運命は短く長くないのですから

 

416行目にテティスの口からアキレウスの短命の運命が語られています。

この μίνυνθά περ οὔ τι μάλα δήν の詩句について、ピエロンは「この同義反復において否定表現の存在に注意せよ。・・・ 同じことの単純な繰り返しではなくさらなる嵩上げ encherissement である」と註記しています。対義語を使った否定が肯定以上に強く響くことはあることです。

この詩行、研究会で「テティスの嗚咽が聞こえるようだ」との感想がありました。確かに

ἧσθαι, ἐπεί νύ τοι αἶσα μίνυνθά περ οὔ τι μάλα δήν

と、一語一語細切れで心なしか辛うじて絞り出しているかのようです。

 

次回ホメーロス研究会は1月27日(土)で、『イーリアス』第一歌421~445行目までを予定しています。