ホメーロス研究会だより 695 | ほめりだいのブログ

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2023年秋季号 その20

 

1月6日のホメーロス研究会の様子です。今回は『イーリアス』第一歌345~369行目までです。

 

アキレウスはブリーセーイスを使者達に引き渡しました。勿論大いに不本意ながらですοὐδ᾽ ἄρα τώ γε ἰδὼν γήθησεν Ἀχιλλεύς(330)。

 

ἣ δ᾽ ἀέκουσ᾽ ἅμα τοῖσι γυνὴ κίεν: αὐτὰρ Ἀχιλλεὺς

δακρύσας ἑτάρων ἄφαρ ἕζετο νόσφι λιασθείς,

θῖν᾽ ἔφ᾽ ἁλὸς πολιῆς, ὁρόων ἐπὶ οἴνοπα πόντον:

πολλὰ δὲ μητρὶ φίλῃ ἠρήσατο χεῖρας ὀρεγνύς:

μῆτερ ἐπεί μ᾽ ἔτεκές γε μινυνθάδιόν περ ἐόντα,

τιμήν πέρ μοι ὄφελλεν Ὀλύμπιος ἐγγυαλίξαι

Ζεὺς ὑψιβρεμέτης: νῦν δ᾽ οὐδέ με τυτθὸν ἔτισεν: (1-348~54)

彼女(ブリーセーイス)はいやいや彼等について行った、一方アキレウスは

涙を流しすぐに仲間達から遠く離れ座った

灰色の海の岸辺に、葡萄酒色の海を見やりながら。

そして手を差し出して我が母にしきりに祈った

「母よ、私を短命の者としてお生みになったからには

オリュンポスの高く轟くゼウスはせめて名誉を授けてくださるべきだ

それが今私を少しも心に掛けてくださらない」

 

不本意だったのはアキレウスだけではありませんでした。348行目に連れていかれるブリーセーイスについても ἀέκουσ᾽(α)(いやいや)とあります。もともとアキレウスとブリーセーイスは略奪者と被略奪者の間ではあったのですが、心を通わせていたことがうかがえます。

そういえば、使者もブリーセーイス召し上げの任務に向かう様が

 

τὼ δ᾽ ἀέκοντε βάτην παρὰ θῖν᾽ ἁλὸς ἀτρυγέτοιο (1-327)

二人は気が進まぬながら荒涼とした海の岸辺を行き

 

と描写されていました。元凶のアガメムノーンを除き他の三者とも ἀέκων です。三者に留まりません。ネストールもそうだったでしょうし、アカイア勢のほとんども困惑したことと思われます。横暴な権力者は周りの者全てにとっての禍です。

では、349行目にある δακρύσας(涙を流して)は、その女を想っての涙だったのかというと、どうもそうではありません。少し後の母テティスに対する訴えを聞くと、アガメムノーンの侮辱に対する無念から来る涙であったようです。なお、このアオリスト分詞について高津註では、「わっと泣き出して」との訳語を与え、「かかるある動作のはじまることを示す aor. inceptive(起動相)と呼ぶ」と説明しています。

350行目に ἁλὸς πόντον が並んでいます。ἁλὸς は岸辺近くの海、πόντον は沖の方の海を(そしてここにはありませんが θάλασσα は漠然と海一般を)指すとされています。

Πόντον には οἴνοπα(葡萄酒色の)の枕詞が付されていますが、これには ἀπείρονα(はてしない)πόντον の異文があります。そしてこの異文をめぐって論争があります。ドイツの註釈家 Ameis は、アキレウスの絶望と悲嘆の真情を強めるものとして ἀπείρονα の方を採用しました。それを Leaf a German rather than a Greek idea であると退け οἴνοπα を採用します。一方 Kirk Ameis 見解を「不当にも Leaf によって非難された unjustly reprehended by Leaf」と擁護しつつ、しかしながら両詩篇において詩行の終わりでは常に  οἴνοπα であることから、詩的効果より措辞が定型的であることに重きをおいて οἴνοπα  をよしとしています。しかしまた、Kirk οἴνοπα の詩的効果の見解については、πολιῆς οἴνοπα の色彩感覚の対比に着目すれば詩的効果を欠くとは必ずしも言えないのではないかとの異論もあり得ます。興味深い論争です。

352行目に μινυνθάδιόν περ ἐόντα とあります。「トロイアに留まって戦い、短いが名誉ある生を選ぶか」、「戦いを捨て帰還して、名誉なしの長い生を選ぶか」、この選択は詩篇のライトモチーフです。それがここで初めて明かされ、アキレウスは前者を選んだとされています。

アキレウスはブリーセーイスを連れて行かれ、怒りと悲嘆のあまり海に向かい母女神テティスに「せめて名誉 τιμήν を授けてくださるべきだ」(353)と訴えています。

そしてこう続けます。

 

ἦ γάρ μ᾽ Ἀτρεΐδης εὐρὺ κρείων Ἀγαμέμνων

ἠτίμησεν: ἑλὼν γὰρ ἔχει γέρας αὐτὸς ἀπούρας. (1-355、6)

私を広く統べるアトレウスの子アガメムノーンが

辱めたのだから、勝手に私の分け前を取り上げて自らのものとしているのだから

 

ゼウスが名誉 τιμήν を授けてくださるどころか、アガメムノーンは名誉を辱めたἠτίμησεν、ここに誇り高いアキレウスに怒りの焦点があります。

γάρ ・・・ γὰρ といかにも訴えかける調子です。

356行目に αὐτὸς とあります。ブリーセーイスを連れて行ったのはアガメムノーン本人ではなくその使者二人でした。したがってここの αὐτὸς は文字通り「自らが」ととると物語の実際と矛盾します。この件に関し Kirk はいくつかの解釈の可能性を検討しています。以下それを列挙します。

1.αὐτὸς ἀπούρας はそれが Agamemnon's wilful decision でなされたこと以上を意味していない。

2.ブリーセーイス召し上げのエピソードに2ヴァージョンあり、現行テキスト通り(使者に命じた)とするもの以外に、もう一つアガメムノーン本人が取り上げたとするものがあった。

3.アガメムノーンの脅しの言葉 ἐγὼ δέ κ᾽ ἄγω Βρισηΐδα καλλιπάρῃοναὐτὸς ἰὼν(184,5)がその後の登場人物の(ひいては詩人の)表現に影響した。

4.口頭詩にありがちな錯誤・齟齬の一つ。

そして Kirk 自身は最後の4の説に傾いているようです。しかし最初の1も有力です。高津註でも「彼自身のほしいままなる気によって、勝手に」とされ、Leaf by his own arbitrary will, not in the name of justice と解釈しています。そもそも、「彼自らが」陣屋に来て連れて行く場合でも、アガメムノーンが女の手を引く訳ではなく従者に引かせるのでしょうから、それと従者に命じて連れて来させることとの差は程度問題です。後者を αὐτὸς ἀπούρας と表現することは錯誤・齟齬とするまでのことはないとも言えます。

そしてこの訴えの声はテティスに届きます。

 

ὣς φάτο δάκρυ χέων, τοῦ δ᾽ ἔκλυε πότνια μήτηρ

ἡμένη ἐν βένθεσσιν ἁλὸς παρὰ πατρὶ γέροντι:

καρπαλίμως δ᾽ ἀνέδυ πολιῆς ἁλὸς ἠΰτ᾽ ὀμίχλη,

καί ῥα πάροιθ᾽ αὐτοῖο καθέζετο δάκρυ χέοντος,

χειρί τέ μιν κατέρεξεν ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽ ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε:

τέκνον τί κλαίεις; τί δέ σε φρένας ἵκετο πένθος;

ἐξαύδα, μὴ κεῦθε νόῳ, ἵνα εἴδομεν ἄμφω. (1-357~63)

このように涙を流しながら言った。彼(が言うの)を母君は聞いた

海の底で老父の脇に座していて。

すぐに灰色の海より霧の如くに立ちのぼって

涙を流す彼自身の前に座った

彼を手で撫で、言葉を言い呼びかけた

「我が子よ、何故泣くのです、どんな悲しみがあなたの心に来たのですか

言ってご覧なさい、心に隠さないで、二人で分かるために」

 

361,2行目では

χειρί τέ μιν κατέρεξεν ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽ ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε:

τέκνον τί κλαίεις; τί δέ σε φρένας ἵκετο πένθος;

と、τέ τί が繰り返されています。「この繰り返しはまるで Θέτις の登場を告げているかのようだ」との感想が研究会で出されました。このような音調の効果については、気づく聴衆・読者もいればそうでない人もいます。しかし気づかない人でも、原文を耳にし口にすれば、無意識下であれその響きを聴取り、Θέτις との暗合を感じ取り、それを楽しんでいるのだと思われます。

361行目の ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽ ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε について、ピエロンは「全くの同義反復」であるとしています。ὀνόμαζε ὀνόμα(名) から派生した動詞ですが、テティスはここで「アキレウス」と呼んでいませんので厳密には「名を呼んだ」とは解し得ません。そこでピエロンは ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽ と有意の差はないと判断したものと思われます。しかしどうでしょうか。

調べてみると ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε(ν) の詩句は両詩篇で数十カ所に出てきます。たしかに、実際相手の名を呼ぶ場合ありますが、むしろ名を呼ばない場合の方が多いくらいです。しかし名を出さない場合でも、引き続く言葉を見るとここの場合のように τέκνον とか δαιμονίη(困った人だ)とか ξεῖνε(客人よ)といった呼格による相手への呼びかけがなされている場合がほとんどです。ということは ἔκ τ᾽ ὀνόμαζε は、おそらくはその原義である「名を呼んだ」の意は薄れてはいるものの、やはり単に ἔπος τ᾽ ἔφατ᾽(言葉を言った)と同義の繰り返しではなく、「(何らかの感情を込めて相手に)呼びかけた」の語義は保たれていると受け取ってもよさそうです。

少し脱線しましたが上記引用に戻ります。

362行目の σε φρένας は全体と部分を指す二重対格です。

それにしてもこの場面のやり取りは驚きです。あの猛者アキレウスが母親に涙を流して訴え、その母親も「彼を手で撫で χειρί τέ μιν κατέρεξεν(361)」ているのですから。そして更に、諭すように「言ってご覧なさい、心に隠さないで、二人で分かるために ἐξαύδα, μὴ κεῦθε νόῳ, ἵνα εἴδομεν ἄμφω(363)」とまで言っています。まるで泣きながら帰ってきた子に、「泣いてばかりいたらわからないでしょ、どうしたのかちゃんと言ってごらん」といった、いじめられっ子とその母親の会話さながらです。アカイア第一の勇者も母親の前では一坊やであったということでしょうか。『イーリアス』の詩人は子供のいかにも子供らしい姿の描写に富んでいます。この箇所はその最初の例です。

 

次回ホメーロス研究会は1月13日(土)で、『イーリアス』第一歌370~395行目までを予定しています。