俺の藤井2016概括 | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。

概括なんて言ってますけど、肝心の2日目、すなわち昨日行ってないので、かなり偏った意見になりますがご容赦ください。

漏れ聞こえるところによると、昨日のエビ中は素晴らしかったとのこと、美怜ちゃんものびのびできたってブログに書いてましたから、僕は個人的にはそれだけで満足です。

今日は朝からとあるモノノフ氏の香ばしいツイートにみなさん面白がって反応していましたが(あ、僕もです)、ああいう人を叩くことによって今回の催しのモヤモヤを晴らすような心理も働いてるのかなあ。あれが運営の自演だったらそれこそ大したものですが(笑)

で、その人の妄言(失礼)の中で気になったことが一つ。さかんに脱ドルヲタを目指せとか一般層にアピールせよとかおっしゃってるけど(想定する一般層っていうのが不透明なので一応「非ドルヲタ」と仮定しますが)、そういう層にアピールしたところで何にもなりませんよと言いたい。

音楽を含むパフォーミング・アーツ全般には、興味がないわけではないけど、CD買ったりライブに行ったりはしない、あるいは藝能そのものにそもそも積極的には興味がない。一般層ってそういう人たちのことですよね。彼らは可処分所得をアイドルには向けてくれないんですよ。

ここからは金銭の話になりますが、「売れる」って、やっぱり大きなお金が動く(入る、とか、儲かる、ってのとは微妙に違いますよ)こと、それがないと演者はまともな活動がしにくい。でも彼らの本業は基本的に金儲けではありませんからね。

演者にはだからパトロンが必要なんです。古今東西、その原理は動きません。昔は王様とか貴族とか、時代が下ると大商人とか、そういう人がパトロンになったわけです。

音楽の世界で言うと、有史以来パトロンなしで食ってる人なんていないわけです。え?  ロックスターとかはどうかって?  もちろん同じですよ。19世紀末に録音技術が発達してレコードを初めとする販売可能なパーケージが生み出されたおかげで、特定の少数の金持ちから不特定多数のパッケージ購入者へと「パトロン」の形態が変わっただけです。

ところがここに来てパッケージが売れなくなってきた。ネットの発達によって、今までパッケージを購入してた人々の中でも、よりライトな層はタダで観られる/聴ける粗悪なメディア(YouTubeなど)でいいやってことで、徐々にパトロンの座から降りて行きました。

要するに、演者の活動を支える経済活動が現在は危機に瀕しているわけです。音楽で言えば、ネット配信がまだかつてのレコードやCDが果たしたような役割を果たすに至ってない。音楽業界は今の時代に有効なパトロンのシステムを構築しそびれているわけです。

握手券=接触権つきのCDは、そういう新しいシステムができるまでのつなぎというか、苦肉の策なんです。こういうCDの売り方に倫理を持ち出したりする人がいますが、売る方はそんなこと言ってられません。お金が回らないと何もできませんし、われわれはそういう世界、そういう時代に生きてるんですからね。

だから、ドルヲタというのは、比較的少数で今の音楽業界を直接支えている古典的な型のパトロンと言える。時代が逆行するようですが、事実、現象としてそうなってるのだから仕方がない。だから、テレビやYouTubeだけで事足れりとする人々に合わせたところで、CDが売れないとかいう問題の解決策にはならないわけです。

一般層に認知される、ということの意義は、その結果として、例えば企業のTVCMに使われたり、言わば二次的な、業界外のより大きな経済の循環に組み入れられる、ってことですよね。でもそれは一時的に消費されるだけであって、演者の立場からしてみれば、それによってコンスタントな(つまり、自分に納得の行く)藝能活動が必ずしも担保されるものではない。藝そのものが売れてるのではないわけですから。

つまり、ドルヲタ=パトロンを切って、非ドルヲタを志向するというのは、少なくとも時期尚早だということ。一般層は飽きるのも早い。今回の俺の藤井、LVの会場も大阪で中止の場所が出たし、現地だってチケット完売とはならず当日券まで出ました。接触やめても一般層を取り込んでそこそこ膨張したももクロプロジェクトだって、こうした状況を鑑みるとすでに峠を越えたと言わざるを得ません。一般層は飽きるのも早いから、落ち出したらあっと言う間ですよ。今までもそんな事例、枚挙にいとまがありませんよね。

僕がもしアイドル運営で俺の藤井みたいなイベントを任されたとしたら、各陣営の特色や立ち位置を冷静に見計らいつつ、それぞれどのような形で売るのがいいのか、つまり、どのような形態の「パトロン」付けをするのがいいか、そこを意識した新しいショウケースを試みる場としますね。だから今年の初日のような、何年も使い回して時代遅れも甚だしいプロレス演出を採用するなんて、運営の怠慢にしか見えない。しかも、わけのわからない判定方法で、たくさんの人の前で演者の自信やプライドを傷つけるようなことを平気でする。毎年ご覧になってる方にはわかると思いますが、出演した彼女らはみな前年よりもスキルアップしていました。昨日僕は、今回のシステムは彼女らに対して敬意を欠くと書きましたが、その真意がお分かり頂けたでしょうか。

そんな中、初日、新曲で臨んだエビ中運営は、メジャー組の中で唯一、あの場をショウケースとして、言わばメタな視点から参加した唯一の運営として、僕は高く評価したい。贔屓の引き倒しと言われるかも知れませんが、僕の信頼するこうしたエビ中が確認できたことで、散々なイベントにも一筋の光明が見出せました。

というわけで、今年の「俺の藤井」に関して、自分なりに考えたことをまとめてみました。異論、反論があっても、それにいちいちお応えするのは面倒なのでそっとしておいて下さいね。