僕の実家は曹洞宗ですが(これも今年、父の葬儀にあたって調べたら実はそうだった、程度の信徒でした)、僕個人は特に何教何宗を奉じているわけではありません。さりとて全くの無宗教とも言いにくい。宗教的奇蹟や法悦というものを一概には否定しませんから。すべては個人の心のありよう、強く願う、あるいは信じる、その拠り所がすなわち宗教だという認識です。僕のこの立場、強いて近い用語を探せば原始的アニミズムですかね。
だからあらゆる宗教的行事は形式に過ぎないと思っています。法事もミサもすべてそう。もちろん形式に従うことは一種の社会的契約だから大声で異議を唱えたりせず、粛々とお付き合いしますよ。良き市民ですから。お盆、法事、葬式、教会での結婚式、もちろんクリスマスのパーティーに招待されることもたまにはありますし、それらの場ではそれぞれのしきたりに従います。
でも形式そのものをことさらに強調したり強要したりする勢力には与しません。たとえば、今日はクリスマスイヴですね。今はどうか知りませんが、ひと昔前はこの日、都内の宿泊施設はこれを祝う(のかどうかはわかりませんが)若い男女で予約が一杯だったものです。それに対して、欧米の本式のそれのようにクリスマスは静かに、敬虔な気持ちで過ごすべきだと、ことさら眉を顰めて憤慨してみせる人が必ずいましたが、クリスマスだって元を辿れば異教の祭りにキリスト教的形式を与えたものに過ぎない(この辺の考証は去年の今ごろ記事にしました。お暇な方はコチラをご参照ください)。だからクリスマスをどう過ごそうが個人の自由、恋人と××しようが家で仕事しようが、本来的な意味での敬虔さとは何ら関係ないはずです。好きな人と過ごして、ああ、今日はいい夜だったね、神様ありがとう、と心で思えば十分敬意を払ったことになるんじゃなかろうか。
僕も今日は何にも予定ないんですよ、仕事以外(苦笑)。でも仕事があるってホントに幸せなことです。神様ありがとう。これが僕のクリスマスイヴです。
(画像は本文とは特に関係ありません)
