現場のレポというもの | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。

昨日はエビ中職員会議が行われたようですね。今回で何回目か知りませんが、ずいぶん前から時々開催されています。僕はずっとスルーして来ましたが、今回はファンクラブ限定ということで応募がありましたので、試しに申し込んでみました(何せあまりにもライブのチケットが当たりませんから、つい出来心で笑)。あえなく外れましたけどね。だからこのイベントには参加してません。

僕は基本的に行か(行け)なかった現場のことはここには書きません、当たり前ですが。だから昨日のソレについてもこの方針に準じます。

でもどんな様子だったのかくらいは知っておきたい。例のヘリウム事故について医療従事者の立場から詳細な記事を書かれた方(Dr.D.D.さん。直接の面識はありません)が参加されたようで、レポを書かれてます。よくまとめられてますのでご参考まで。昨日から僕の目にした職員会議についてのテキストの中ではもっとも整然とした報告かと。

ただし、僕はジャーナリストではないので、自分で書く場合はもっと主観を思いっきり入れた、バイアスのかかりまくった、記事や報告というより感想文を書くことを心がけています。突き詰めて考えれば、客観性などというものは所詮は幻想に過ぎない、どんなに注意深く書いても筆者の主観は必ず入る。どちらかといえば確信犯的に主観に大きくもたれかかった文の方が面白く読めるし、かえって肝というか一番大事なところをガッチリ摑んでいる場合が多いように思いますね。もちろん事実をことさらに歪曲したり捏造したりというのは論外ですよ。その辺りのバランスを上手に取った上で、筆者の体臭がフンプンと匂い立つ文、というのが僕にとっての理想です。

昨日もTwitterのTL見てますと断片的な情報が随時流れてきて、その情報のそれぞれに対して何か言いたい衝動に駆られましたが、何とか自分を律しました。だって、現場に行きませんでしたからね、昨日の職員会議については僕には準拠すべきエビデンスがない。主観のバイアスをかけるには、まず最初に対象についての客観性をある程度は自分の中に確保しなければいけません。要するに校長やキネオ氏がどんな言葉遣いで、どんな文脈で、どんなトーンで発言したのか、その全てを汲んだ上でないと、主観に大きく寄りかかった自分の意見は述べられない、ということです。

週末の朝の徒然にどうでもいいことをダラダラ書いていますが、一応こういう話は自分の営業品目ですのでね、まあもう少しお付き合いください。

で、そのレポを読んでの結論は、やっぱり行かなくてよかった、ってことかな。

僕はエビ中が好きで、彼女らのパフォーマンスを観に現場に通っているわけです。さらに、たまに三次元的接触を介して彼女らと半ばリアルな人間対人間の関係性(要するに、楽しくおしゃべりする機会)を持つこともできる。僕にとってはそれらが眼目なわけです。

平たく言えば、裏方の裏話はあくまで二義的かつ副次的なシロモノ、手品の種明かしを見るようで、僕は好みません。藝事は舞台の上で見せる藝が全て、見物からの過小評価を怖れての、演者側からの能書きは見苦しいだけです。でも世の中には推理小説を後書きから読む人もいるくらいですから、そういう需要もある程度は存在するのでしょう。いつも言うことですが、これもまた好悪の問題であって善悪の沙汰じゃない。これだけは言い添えておきます。