国営放送で朝から「ロボサン」連発(爆)、なかなかお茶目な先生だなあ。現場でお見かけしたら高齢ピンチケ同士、一緒に揚雲雀のごとく推しジャンすることにしよう。
それはさておき、今日はみれい嬢のブログの文章についてちょっと考えてみた。
彼女だけでなく、エビ中のメンバーはそれぞれ文章が上手です。これは彼女らの耳がいいってこともあるだろうし、また定期的にまとまった文章を書くことが訓練にもなっているのでしょうね。漢字や表記の間違いは散見されますが、そんなことは枝葉末節、彼女らの文章はその時その時の彼女らの思想をよく伝えていて、文章が生きている感じがする。僕は大いに見習ってます。
みれいちゃんの昨日の文章、見事でしたね。こんな風に始まります。

まずは挨拶。その後すかさず本題。「実はね、昨日…」と、読む者の不安を軽く煽っておいて、すぐに何か物を失くしたという種明かし。で、これからその顛末を語るという。
よく見てくださいね。無駄な言葉が一語もない。「!」も「…」も後末の「っ」も、最後の「笑」まで、それぞれが適所にすんなり収まって、しかも微妙な心の動きを表すべくしっかり機能しています。読む人は「実はね」からの3行で軽く振り回され、気がつくと彼女の話に引き込まれています。簡単なようでいて、なかなかこうは行きませんよ。

彼女が何か物を失くしたということはこの時点で読者は知っているわけです。何を失くしたかもここでもう明らかなんですね。でもすでに読者は自分が買い物したような気持ちになってます。喜びが大きければ大きいほど、この後に続くであろう落胆も大きい。この伝達、説得、さらに読者を先へ先へといざなう技術、大したものですね。ため息が出ます。
ラーメンの挿話も効いてますね。世の春が一気に来た感じ、得意満面なようすが「いがいと行けちゃうわたし」の一行に凝縮されてます。

ここも「…」と「ーーー」の使い方が上手ですね。
日本語ではダッシュ、リーダーなどの記号の正書法は確立してませんが、例えば英語では厳密に意味と用法が規定されています。みれいちゃん、かなり英語ができるんでしょうね。こういう記号使いに繊細な意識が向くということは、そういうセンスがあるということです。

で、失くしたスカートの画像を貼って(試着室での写真、これは見る方を何だかドキドキさせるし、非常に巧妙です)、さらに具体的な挿話(以前傘を失くしたこと)を入れることで落胆をより強調してるわけですね。ここまでの構成、端正にしてかつ美しいです。物を失くした話をします→スカートを買いました→ラーメンを食べました→稽古場で失くしたことに気づきました→電話などで捜索したが見つからなかった→そういえば前にもこんなことがあった……論理の流れに全く破綻がない。
ここまででも十分立派な文なんですが、彼女の文才はこの後なんですね。結局この文の主眼は、最後の「ひとりで行動できる」というところにある。失敗してもその失敗、あるいはその過程から何がしか学ぶことがある、という一事が、読者に問答無用で印象づけられている。「物を失くす」ことと「ひとりで何かできる」ことは一見すると相反する概念でしょう。論理の飛躍がある。ですが、ラーメンの挿話でしっかり伏線も張っており、読者にはこの飛躍は一種のカタルシスとして働くわけですね。
次はひとりで焼肉に挑戦するとおっしゃる。今読んだ文からすれば、また何か面白い失敗談を提供してくれるだろう、と仄かな期待を抱かせるところも隅に置けません。
この後は後輩のかほちゃんのバッグ選びに付き合ったという話で終わるんですが、2人の写真だけで詳しいことは語られません。最後に余白を残すところは水墨画の技法ですね。一つ失敗をして教訓を得た彼女が、次の日、後輩との買い物でそれをどう活かしたか、それは読者各自のご想像にお任せします、ということ。完璧です。
おそらく本人はレトリックとか構成とか意識しないでスラスラ書いてるんでしょう。それは文全体の淀みなく流れる水のような感じからしても明らかです。
たかがアイドルのブログと侮るなかれ、幾つになっても学ぶべきことはそこかしこにあります。僕が彼女を推す理由、少しはお分かり頂けたかな?