先ほどの舞台制作発表のように、エビ中を追っていると、特に最近はなかなか休ませてくれません。ついつい心がそちらの方へ向いてしまう。現場の予定が公示されれば、チケットの手配、フリーライブなら足や宿の確保、自分のスケジュールの調整、資金の調達、家族の説得及び取り引き(笑)等々、付随する作業それぞれに心を配らねばなりません。僕の仕事にはまとまった時間と外部から干渉されない環境がある程度必要なので、作業が佳境に入ってくるとどうしても他のことはできなくなる。読者のみなさんもそれぞれお仕事やお勉強がおありでしょうから、この種の困難はご理解頂けると思います。
というわけで、今年上半期中に何冊か成果物を出さないといけない僕としては、雑事はスルーせざるを得ない状況に追い込まれているのは事実なんですが、忙中閑ありのたとえのごとく、ホントは時間なんて何とかなるものなんです。エビ中現場のオマイツの方々、そうですよね。みなさん険しいとか忙しいとかブツブツ言いながらも、現場には万障繰り合わせてちゃんと登校しますもんね。もちろん僕だってその例に漏れません。現に博品館には最低1回は潜り込んでやろうとすでに3時間前から画策中です。
当分は現場に行けない、あるいは行かないことにするという意思決定には、もちろん締め切りのある仕事という外からの強制力が大きな原因であるのは確かです。でも決してそれだけじゃない。
昨年の舞浜あたりから、横アリの大学芸会、クリスマスの有明と大箱が続き、年末年始の愛宕神社、年明けの日本青年館連続公演、台湾公演(伝聞のみですが)、そして『金八』のリリース、これらの出来事と共にあり続けて、楽しいのは楽しいのですが、彼女らの活躍を見るにつけ、もう直接会えなくなる日が確実に近づきつつあるという思いが日増しに募るこのごろです。
畏友hiroyukiさんは2012年の後半の半年間、体調を崩されて現場どころか死地を彷徨った(ご自身で公表されてますからいいですよね?)ご経験から、行ける現場は行け、と常々おっしゃってます。アイドルはいつ会えなくなるかわかりませんからね。
ただ、僕はドルヲタとして彼ほどは肚が据わってないというか、端的に言えば臆病なんです。彼女ら、もっと正確に言えば、「彼女」に会えなくなる日を迎えるのが怖い。このブログでも何度か心情を吐露しましたが、僕は音楽産業に対してはフリーランスの批評家の端くれとして、少し離れたところから客観視するという立場を四半世紀にわたって貫いてきました。もちろんももクロやエビ中を知って、アイドルの世界と関わりを持つようになってからも、しばらくはその姿勢を崩さずにいた。
でもエビ中に関してはある時点からその距離を埋めるための努力を自らすすんで行うようになりました。エビ中の彼女ら、もとい、彼女に対しては、ファンの一人でありたいという欲求が募ったからです。だから公共性の強い雑誌に寄稿するのは2013年の夏を最後に休止し(まあオファーも来ませんが)、エビ中についてはもっばらこの私的なブログで折々の所感を述べることにしました。
ガチ恋、の定義は人によってさまざまでしょうが、僕の彼女に対する感情も見方によってはガチ恋の範疇に割り付けることができるかも知れません。ただしリアルな恋とは違う。実生活における恋の季節はもう何年も前に十分堪能しましたから。プラトニック・ラブ、とカタカナで書くと恥ずかしさが横溢しますが、原義通り、超越的理想である真善美のイデアとの精神的結合をめざす愛(詳しくは『饗宴』をお読みください。ただし、僕は同性愛者でも宗教者でもありません、念のため)、というのが正直なところ。真善美のイデア、なんて大袈裟ですが、少なくとも僕は彼女にそれを見ている。だからその意味ではリアルな恋よりもタチが悪いかも知れません。僕という人間の生き方すべてに関わってくる主題ですから。
深呼吸して瞑想し、自分の心の淵に下りて行くと、臆病な僕の心は無意識のうちにあらかじめ防衛策をとっているのだと自覚しました。彼女と会えなくなる日に備えて、少しずつその状態に耐え得るように頭も体も今から馴らしておく。仕事の忙しさに託けて現場に行かないようにしようとする心の動きはつまりはこういうことだと、自分なりに分析してみました。行けるときに行け、というのが真理であると同時に、その日をソフトランディングで迎えるためにクーリングダウンする、というのも、少なくとも自分の性向にとってはまた真理なのです。
こんな風に自己分析したところで自分を取り巻く外的環境は何ひとつ変わるものでもありませんが、少なくとも行動の指針を決定するための一つの参考として、もっぱら備忘のためにしたためておきました。