それと同時に、アルバム購入者特典として、1年半ぶりのツーショット撮影会の実施も発表されました。僕のような重度反復顧客(=ガチ勢)にとっては、アルバムの内容はもちろん(繰り返します、もちろんですよ)重要ですが、接触イベントの開催の方にもしぜん注目してしまいます。
実施要項については上に貼ったリンクを参照していただくことにして、今日はツーショット写真のことを少し考えてみたいと思います。
その中で、接触イベントは夢の世界に入場するためのイニシエーションであり、ツーショットは自分がその夢の世界へ行った証拠写真として機能しているという意味のことをちらっと述べました。
「アイドル」というエンターテインメント形態に馴染み、アイドルとのツーショット写真なるものの存在を初めて知ったとき、僕はただちにこれを連想しました。
要するに、妖精とのツーショット(これは正確には5ショか)写真が捏造されて、多くの人が騙されたという20世紀初めの頃の騒動、ホームズで有名なコナン・ドイルもまんまと引っかかりました。
まあ今日でいうコラですが、この事件には多くの意味合いが含まれています。ただのイタズラではない。人類史、といえば大げさですが、少なくとも近代ヨーロッパ文化史においては、見えざるものの可視化、という営為が大きな潮流としてあった。この小文では十分な説明はできませんので、キーワードとして、ロイヤル・アカデミー、百科全書、ピクチュアレスク、博物学、観相学、デパート、顕微鏡と望遠鏡、探偵小説、見世物小屋、映画、オカルト、などの用語に留意しつつ、たとえば高山宏さんの著作(「奇想天外・英文学講義~シェイクスピアからホームズへ」とか「殺す・集める・読む~推理小説特殊講義」など)をお読みになるのをおすすめしますが、ともかく物事が目で見える(ようにする)ことにわれわれの文明は注力してきた、と取り敢えずは言っておきます。
たとえば霊魂、幽霊、あるいは妖精のたぐい。これらの存在は科学的にはいまだ証明されていません。しかしながら古今の文学を覗き見ると、あたかも実体を伴う具体的存在であるかのようにしばしば描かれます。いっぽう、それら「スピリチュアルなもの」に対する態度として、そもそも存在云々を議論しない行き方もある。僕などは人間が散文的にできてますからまず後者の方で、心霊写真その他、可視化されたブツに対しては常に懐疑的な態度で臨むことにしています。
ただ、僕だって幻想文学は特にこのんで読みますし、SFX満載の映画だって面白いと思う。アンデルセン童話のオレ・ルゴイエの話に代表されるような、夢の世界に実際に入って行く話などは心踊ります。
アイドルとのツーショット写真というものをめぐって、僕の中では絶えず二つの思考が鬩ぎ合ってます。一方はコティングリーの妖精写真のように、本来あり得ない物事の可視化に無批判に加担すべきではないという自分自身に対するいましめ、他方では、童話のヤルマールくんやウェンディ、チルチル・ミチルのように夢の世界に入ってみたいという子供の頃からの夢想。
アイドルとは偶像であり、偶像とは本来は目に見えないものに仮の形象を与えたものの謂いです。アイドルはしばしば妖精にたとえられますが、その属性からしてこのたとえは的を射ています。そうした存在、いや、ここでは保留条件の付随するカッコ付きの「存在」としてのアイドルと生身の自分が一葉の写真に収まるという行為は、皆さんがお考えになってる以上に、文化史的に考えるべき主題を多く含んだ、含蓄ある行為と言うべきでしょう。決して年若い女の子とただ写真を撮りたい、それを後で眺めてニヤニヤしたいという形而下的欲望のみに動かされて鼻毛を伸ばしているのではないということ、以上の説明でお分かりいただけたでしょうか?
何せこうした大きな史的背景が控えているものですから、無自覚、無批判にこれに対峙するとたちまちに飲み込まれてしまいかねない。今回のエビ中ツーショット会は一回につき7.8kの金員を要します。自分としては批判的精神と享楽的態度のバランスを取りつつ、しっかりとした自覚と節度をもって抽選申し込みに臨みたいと存じます。


