日本でのホメオパシーとの出会い その4 | すべての人生にひだまりの温もりと輝きをもう一度

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人々が自分の夢を語り、共にいのちを讃えあう優しい世界を実現させること、そして自然界と私たちが共に生きられる世界の実現を目指しています。

みなさんこんにちは、イギリスはケント州から、ホメオパシー・自然療法のお話をお届けしています、ホメオパシー木蓮の望月朝子です。

 


以前よく出張で行った熊本の、神社の木。



日本でのホメオパシーとの出会い その1

日本でのホメオパシーとの出会い その2

日本でのホメオパシーとの出会い その3

 


毎日の瞬間瞬間が違う、

マーケットの刺激ある日々。

本当に体が悲鳴を上げる一年前に、

実は「サイン」がありました。

 

ある夏の朝、

ストッキングをはこうとしたら、

あまりの激痛で、ストッキングがはけない。

でも、素足で出勤するわけにはいきませんから、

ものすごい時間をかけて、

痛みと闘いながらストッキングをはいて、出勤していました。

初めてマッサージを受けたり、

リフレクソロジーも試してみました。

当時日本で始まったばかりの大型チェーンのお店に会社帰りにふらりと立ち寄ったり。

その時は、それで症状が緩和したので、

あまり深く考えることなく、

再び日々の生活に戻りました。

 

そして、1年後。

本当の激痛が襲ってきました。

ある夜、仕事から帰ったら。

まったく床に座ることが出来ない。

今までに体験したことのない痛み。

それまでの腰の痛みなどが、

震度3だとしたら、

その痛みは、震度8-9まで跳ね上がったような痛み。

夜、なんとか体を横にしましたが、

翌朝。震度8-9の痛みはやっぱりまだそこにありました。

 

その日は、家から直接羽田に向かう、九州への出張が決まっていました。

フライトチケットも自分の手元に。

チームメイトに代行を頼む選択肢はありませんでした。

痛みを抱えたまま、九州へ。

 

現地でもプレゼンテーションの合間に、

マッサージや整体を受けに行きながら、

福岡と大分で仕事をこなして、

東京に翌々日帰ってきました。

 

すすめられて行った東京女子医大での診断は、

中度の椎間板ヘルニア

ということでした。

コルセットと痛み止めが2週間分が出て、

また来るように、という指示。

 

もちろん、2週間たっても痛みはひきませんでした。

仕事には毎日行っていましたが、

家では、文字通り、這いつくばるのが精一杯。

夜も激痛で眠りにつくこともできず。

見かねた近所に住む友人が食料品を買って届けてくれたりと、

温かいサポートをしてもらっていました。

 

このことがきっかけで、

とうとう私の人生が、ホメオパシーと出会う準備完了と

いうところまでやってきたのです。




今日も読んでくださってありがとうございました。

 

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