自分を定める | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

「恋人がいようといまいと。

お金があろうとなかろうと。

お腹が減っていようと減っていまいと。

…自分はどうしたいか、どうありたいか。」

 

吉本ばなな「すべての始まり」より

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分はどうしたいか、どうありたいか」

こうして自分を設定すること、

自分のあり方を自分で定めていること、

自分の輪郭を自分で把握していること、

は、とても大事だ。

 

私たちは

生きている限り

動き続け

変化し続けているので、

ふっとしたとたんに

どんどんあいまいになっていってしまう。

 

安心や安定と

あいまいさが

ごちゃごちゃになってしまったりすることもある。

 

安心や安定はとても大事だけど、

あいまいになっていくと

今度は不安定にすっと振れていってしまう。

 

安心や安定の中に落ち着きたいけど

やっぱり生きている限り

動き続け

変化し続けているので、

ていねいに自分を定めていかないと

どんどんあいまいになって、

不安定になっていってしまう。

 

 

 

不安定は、嫌よねえ。。。

 

 

 

 

 

この「すべての始まり」の本の中にも書かれていたのだが、

海外の街を歩いている時

ふっと危ない場所にまぎれこんでしまうことがある。

 

海外に行くことが多い私だが、

あまり危険な目に遭ったことがない。

イギリスにいるときに

いろんな国から来ていた人たちから

たくさん危険な経験の話を聞いていたので、

海外ではかなり気をつけている。

 

だから

危険な目に遭ったことは、ほぼないし、

スリにも遭ったことはなかった。

 

そう、数年前のナイロビまでは。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前にナイロビに行った。

友人に会いに行った。

そのとき友人は、脳梗塞をやり、離婚もし、ケニア政府からの要望でナイロビに来たものの、仕事はうまく進まず、すっかり鬱状態だった。

そんなときに会いに行った私の仕事は、セラピスト。

けっきょくセラピーをしに行ったようなものだった。

ものすごく遠くまでの出張セラピーになってしまったのだった。

毎日ナイロビの街を歩きながら友人の話を聞き、

ときにはホテルの部屋で前世療法やインナーチャイルドワークをした。

友人の鬱状態は、かなりひどく

深い暗闇にどんどん潜り込んでいくような感じだった。

 

 

 

 

 

私はセラピストだけど、

仕事でひとの話を聞くときと

友だちの相談に乗るときは、

まったく別物だ。

そうしないと人間関係が崩壊してしまう。

 

 

 

 

 

でも

ナイロビで友人のカウンセリングやセラピーをしながら、

そのあたりの境界線が

どんどんあいまいになってしまった。

 

あのとき

暗闇の中にうずくまって

まったく私の話が届かない友人に

かなりイラッとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

あの日もナイロビの街の中を

怒りながら友人と歩いていた。

ケニア人のルーズさを責める友人に

ここはケニアなんだからしょうがないじゃないか、と私は怒っていた。

そのとき

私たちの前で立ち止まるひとがいた。

先に進めなくなった私たちが立ち止まった瞬間、

後ろのひとが私の背中のリュックのファスナーを開けていた。

 

もうホント瞬間芸だったわ。

よく考えるとお見事としか言いようがない。

前のひとと後ろのひとは仲間だったんだよね。

 

取られたのは、

紙パック入りのワインだけだった。

それだけだったからよかった。

どうぞ飲んでくれ、と思うだけだった。

 

でも初めてのスリ体験には、びっくりだったし、

ショックだった。

 

その数日前には

タクシーでちょっと危険な思いをしていたので

重なる体験でさらにショックだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのときハッと気がついたのが、

自分の輪郭がかなりあいまいになっていたということ。

 

 

 

 

たぶん

日本だったら

これくらいあいまいな状態でも

なにも起こらないか

もしくは何かが起きるのに時間がかかるか、

いや、もしかしたら

起きたことに「気がつくまでに」時間がかかったかもしれない。

 

それほど

安心や安定と

あいまいがごちゃごちゃになりがちな環境なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイロビでスリに遭ってから

まずしたのは

自己設定のし直しだった。

 

自分の輪郭設定をし直して、

エネルギー状態を変えた。

 

 

 

 

 

 

どうやったかというと

意識を変えただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイロビの街でも

少し治安がよくないところにあったホテルに泊まっていた私は、

友人に会うために

街の中心部の外国人(特に欧米人、ナイロビで日本人にはまったく会わなかった)がたくさん来るカフェまで

毎日30分くらい歩いて行った。

舗装もされていない道に

とにかく様々なものを売っている露天商たちや

そこに群がるお客さんたちは、みんな黒人さんたち。

その中を歩く私は、どう見ても目立った。

最初は、怖かった。

でも少しずつ慣れてきた。

その中でのスリ事件だった。

 

 

 

 

そして

意識を変えた。

 

 

 

 

 

「私はカフェに向かっている。

ただカフェに向かっているだけ」

と、自分の設定を明確にした。

 

 

 

 

 

ものすごく当たり前かもしれないけど、

ホテルからカフェに向かっている私は、

「ただカフェに向かっているだけ」だ。

たぶん何もなくカフェにたどり着ける状況だったら、

そんなこと意識しなくてもいい。

でも、ここはナイロビ。

無事カフェに着けるかどうか、じつはわからない。

だからこそ、自分を設定しないと

存在があいまいになって、

もしかしたら、の事態になるかもしれない。

 

ものすごく大げさかもしれないけど、

あのときの私が学んだことはそういうことだった。

 

そうして自分のブレを修正した。

 

たぶんブレたままだったら、

また何かが起こったに違いない、と思う。

 

さらに

その後外国人がたくさんいる地区にあるヒルトンに宿を変え、

移動はかなり安心になったが、

ヒルトンの入り口には

いつも銃を持った警備員がいたし、毎回荷物検査があるくらい安全ではなかった。

だからその後もずっと

自分の意識設定をていねいにし続けた。

 

 

 

自分の安全と安心のために、ね。

 

 

 

 

ケニアを出国するとき

ビザの関係で罰金が発生すると言われ、

そんなことは入国するときに聞いていない、

もし必要なら入国するときに言うべきだ、と言い返したら、

どうも嘘だったようで、

手のひらを返したように

「あら、そのカゴかわいいわね。どこで買ったの?私も欲しいわあ」

なんて、笑顔で言ってきた。

 

ぜったいそんなこと日本ではないもんね。

 

あの税関でも

あいまいな自分だったら、

びびって相手の言うことを鵜呑みにしてしまっていたかもしれない。

 

 

ナイロビのホテルの屋上から毎日この景色を見ながら、朝も昼も夜もごはんを食べた。

たまたまhotels.comで見つけたホテルだったが、場所が悪かった。

このホテルの入り口にも、いつも銃をかかげる警備員さんがいたもんね。

写真の中の高いビルが建っているところが、ナイロビの中心部で

いつも「あっちは町だなあ」と思っていた。

 

 

 

 

 

 

ナイロビでの経験は、とてもよかった。

自分の意識をどう設定するか、

それは知っていたけど

実体験として学べて、ホントよかった。

 

取られたのがワインだけだったし、

(しかもケニアのワインは格安だった)

取ったひとは美味しく飲んでくれたかな、

そうだといいなと思う。

 

 

 

 

日本に帰る私を空港まで送ってくれた友人は、

その後元気になったようで

今は楽しそうに台湾で働いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナイロビに行ったのは

ちょうど震災の次の年だった。

 

震災もたくさんの人が

どんな意識で

なにを大事にしながら生きていくのか、ということを突きつけられたと思う。

 

ナイロビで

私は被災地に送るための靴下を編んだ。

帰りのスーツケースの中は毛糸の靴下が何足も詰まっていた。

関空の税関でスーツケースを開けたとき、

「ケニアって寒いんですか」と聞かれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから何年か経って

吉本ばななさんのこの言葉に出会って、

あらためて

自分の設定をし直さなきゃなと思った。

 

 

 

 

「自分がどうしたいか、どうありたいか」

 

 

 

 

 

ふっと不安や不安定さに気がついたら、

なにかがあいまいになっているのかもしれない。

 

 

 

「どうしたいか、どうありたいか」を確認すること。

 

 

 

自分をていにねいに定め直すことで

安心や安定は

自分で作り出せる。

 

大きく定め直すのは、

なかなか大変なので

小さいところから定め直すのもいいかも、と思う。

 

ナイロビで私が

「ただカフェに行く」と設定したように

シンプルで小さい設定の方が

けっこういいんじゃないかなあと

あらためて思う今の私です。

 

 

 

ナイロビの朝

きれいだったなあ。

すべてが濃かった!