ひとの中の絶景をいつも見ています | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

昨日

前世療法を受けに来たみえこさんが

体験談を書いてくれました。

 

前世のことから

子供の頃のことから

今のこと

これからのこと

過去、現在、未来まで

あれだけのことを真正面から向かい合う勇気に

すげえ!って、ものすごく感動した上に

さらに

あれだけのことを

こんな表現で言い表すなんて

もっと、すげえ!って、ノックアウトされました。

 

みえこさんのブログです。

読んでみてね。

↓ ↓ ↓

 

 

 

心象風景という言葉があります。

 

心の中のあり方を風景にたとえているのかな。

 

いまウィキペディアで調べたら、違ってたチュー

「心象風景とは、現実ではなく心の中に思い描いたり、浮かんだり、刻み込まれている風景。現実にはありえない風景であることもある」

だそうです。

 

ずっと、心の風景だと思ったわ。

 

まあ、いいかチュー

 

 

 

今まで

いろんなひとたちと

そのひと自身の心や魂の風景をのぞいてきました。

 

 

 

 

 

どんなひとの風景も

絶景でした。

 

 

 

 

のぞけばのぞくほど

奥に行けば行くほど

絶景!

 

それは

グランドキャニオンとか

タヒチの海とか

グレートバリアリーフの珊瑚礁とか

ヒマラヤ山脈の山々とか

世界の絶景ポイントに行かなくても

 

すぐここにある絶景!

 

日々そんなひとの中の絶景を見ているので

だから私は、行ってみたいと思うところがないのか、と納得している。

 

これだけあちこちに行っていて

行ってみたいところがない、っておかしいことかもしれないけど、

私にとって

どこかに行くのって、誰と行くかが大事なだけで、

じつは、どうしてもあそこに行きたいという気持ちはない。

 

もちろん行ったら行ったで、きれいだし楽しいけど、

それも、「誰がいっしょ」ってことの方が大きい。

 

けっきょくそこで

また飲んで食べて笑ってしゃべって、って

同じことしかしないしね。

 

もしかしたら、

若い時にいろんなところに行けたってこともあるかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

 

それよりも

ひとの中の絶景の方が

うんとすごい!

 

だって、

探検家のように

その絶景ポイントを見つけに行くスリルもある。

そして

その絶景を発見したっていう、ものすごく大きな感動もある。

 

「こんなところに

こんな風景が広がっていたなんて!」って

そりゃ、椅子から転げ落ちそうになるくらいびっくりなことが

たくさんあるからね。

 

そんな

ひとの中の絶景を

(もちろん自分の中の絶景もね)

見つけたり

発見したり

ながめたりしていると

地球上の絶景は、どうでもよくなる。

それくらい、すごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「尊敬するひとは?」って聞かれると

いつも私は

「私の患者さんとクライアントさん」って答える。

なぜって聞かれたら

「変わろうとしているから」って答える。

 

自分の中の絶景を

探そうと

発見しようと

ものすごい勇気がいる探検をしている。

 

どうにかすると

エベレストに登るよりも命がけな探検だと思う。

人生まるごとかけていたりするからね。

 

今回の人生だけじゃなくて

ずっと前の前世もかけていたりするからね。

 

 

 

 

 

いろんなひとを見てきて

本当に変わるって、大変だし、勇気がいることだと

つくづく思います。

それは

他のひとから見て立派ななにかをするより

上手になにかができることより

すごいことだと思う。

 

立派ななにかができるひとは

それが当たり前かもしれないじゃない。

上手になにかができるひとは

それが当たり前かもしれない。

 

でも

変わろうとすることって

当たり前じゃないことをすることだから、

ものすごく、勇気がいる。

 

そんなことに挑んでいる私の患者さんやクライアントさんたちを

私は心から尊敬している。

 

「親バカ」じゃないけど

「セラピストバカ」(そんな言葉ないけどね)って感じで

本当に愛おしい。

 

そして

私もがんばるわ!って

いつも思う。

 

勇気いるからね。

 

そこは、がんばろ!