前世療法なんてものをやっていると | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

前世療法なんてものをやっていると

ときどき

 

「私、前世で織田信長だったんです」

という話を聞く。

 

それは

信長だったり

マリーアントワネットだったり

聖母マリアだったり

歴史をよく知らない私が知らないどこかの王様だったり

お姫様だったりすることもある。

 

そういう話を聞くと

いつも思う。

 

 

「で、それがどうかしましたか?」

 

 

私がやっている前世療法では

前世で誰だったとか、

どんな立派なことをやったとか、

悲惨な目にあったとか、

悲劇だろうが

喜劇だろうが

関係ない。

 

その前世が

今の人生を生きている自分に

どんな影響を与えていて、

それを知ることで

たとえば

前世から引きずっていることがあって

もう引きずりたくないなら

手放すことができるし、

前世からの恩恵を

これからより活かしたければ

活かしていけばいい、だけ。

 

それだけ。

 

過去は、ただの過去。

前世は、ただの前世。

 

いちばん大事なのは、

今の人生の、たった今だし、

そして、これからのこと。

 

今の自分をより知るために

過去を知るだけだし、

これからの自分を定めるために

過去のことは

大きなヒントになるだけのこと。

 

だから、

過去、前世でどんな人物だったかなんて

それが何の役にたつのだろう。

 

もちろん

そのひとに役に立つならいいんじゃない、と思うよ。

 

 

 

 

 

これは

私の考えだけど

けっきょく

みんなつながっているから

どのひとも信長だったし、マリアだった、

と思うんだよね。

 

大きな視点から見ると

みんなひとつだし、

でも、今ここにいる私たちはそれぞれ「個」なんだよ。

 

「個」であることは

それぞれの担当があるってことで、

そして、みんなつながっているから、ひとつ。

 

どのひとも、自分だし、

そして自分は、自分。

それは、同時に成り立っている。

 

体全体でいうと

目は、目だし、

耳は、耳だし、

手は、手、

足は、足、

で、それぞれだけど

つながっている。

体全体としては、つながっている。

つながっているけど、

それぞれが、それぞれの担当を、働きを、役割をしている。

目が、耳になろうなんてすると

手が、足になろうなんてすると

どんどんぜんたいのバランスが崩れていくだろう。

からだの疾患は

そんなそれぞれであればいいところを

他のものになろうとか

他のものを補おうとか、と

ほんらいの働きを見失っていくところから起こるのかもしれない。

こころの働きも

同じかもしれない。

悲しいのに、じゅうぶん悲しまず

苦しいのに、じゅぶん苦しまず

大丈夫、なんて誤魔化してしてしまうと

なにか大事なところが崩れていく。

 

それぞれの「個」が「個」をまっとうすることが

しっかり

しっくり

すべてとつながれるんじゃないだろうか。

 

今の自分を知るために

今の自分にしっくりするために

そして

すべてのものとつながるために

前世療法は

なかなかおもしろい道しるべだと思うのよん。

 

 

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