オイリュトミー学校でも、お金の問題はたいへんでした。 | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

たぶん

どこでもあることだけど

 

オイリュトミー学校でも

 

「お金」のことは、

いつも問題だった。

 

少しでも

オイリュトミーとか

シュタイナーとか知っているひとだったら

 

そこはまるで

「理想郷」のようなイメージを持っているひとも

少なくないだろう。

 

とくに

日本には!

 

なぜ

こんなに「理想」を求めるんだろう。

 

これまでたくさんのひとが

「なにが正解か、知りたいんです」

「これで正しいのか、間違っているのか、不安なんです」

と、話すのを、聞いてきた。

 

これをやれば、正解!

これを選べば、正しい!

 

そんな、「正解」が欲しくてたまらない。

 

だから、

シュタイナー学校に入れれば、正解!

間違いない!

と、思っているひとも多いみたい。

 

だから、

オイリュトミストの私も

けっこう誤解される。

 

ハーブティーしか飲まないし、

お肉はぜったい食べないベジタリアンなはず!

野菜か果物をほんの少し食べるだけ。

 

というイメージ。

 

そんな私が

生ビールをゴクゴク飲みほし、

焼き鳥なんか食べ始めたら、

「なんか、イメージ違いますね」と

かつては、よく言われた。(引かれた)

 

(はい。ただのおやじです)

 

そんなイメージを持つひとたちと

幸い疎遠になったから

いまは、これが私だとわかっているひとしか

まわりにいない。

 

さいしょの話に戻すと、

 

べつに

オイリュトミー学校は

「理想郷」でも

「パラダイス」でも

なんでもなかった。

 

はんたいに

そんな「理想」を求めて来たひとたちの

「理想」を打ち砕くような場所だった。

 

先生たちだって

とても「人間的」で

怒ったり

拗ねたり

いらいらしたり。

 

とても人間らしくて

私はとても好きだった。

 

それを受け入れられないひとたちも

たくさんいて、

反発したり

反抗したり

それこそ、ここではやっていけないと転校するひともいた。

 

クラスの中では

いつも問題が勃発し

やはり怒ったり

拗ねたり

喧嘩したり

ぐちゃぐちゃになって

(いろんな国の人がいたから、ハンパないぐちゃぐちゃでした。。。)

どうにかすると「学級崩壊」なんてこともあった。

 

なぜか私は

学生たちが自主的に作った「student support group」に入っていた。

いちばん仲がよかったポーランド人とクロアチア人に誘われて、

なぜか入っていた。

それは経済的に苦しい学生同士が助け合おうという集まりだった。

 

私がオイリュトミー学校にいた20数年前は

ソ連が崩壊したり

社会主義国が資本主義に変わったり

けっこう世界が動いていたときだった。

だから学校に来ていたひとも

なんとか先進国のイギリスに勉強に来ているというひとばかり。

すぐ前まで共産圏とか、社会主義の国、東ヨーロッパの国、

ポーランド、ルーマニア、チェコ、旧ユーゴスラビア、グルジアなどからのひと、

また、南米のひとも多かった。

みんな、お金に余裕なんてまったくなくて、

いつも困ってた。

 

そこで「sutudent support group」。

毎日学校であるティータイムでコーヒーを売ったり、

バザーをしたり、

お菓子を売ったり、

古着を売ったり、

レンタカーをしたこともあったし、

とにかく共同でお金を稼いで助け合おうというものだった。

 

でもね、

いつもいつも揉めたのが

お金をどう使うかってこと。

 

自分がどうお金に困っているか申告して

みんなで話し合って

みんなで稼いだお金を

そのひとに援助する。

 

理想はそうだった。

 

でも

いつも揉めた。

 

揉めに揉めた。

 

「私は、今月いっかいもお肉を食べてないのに

そんなに我慢しているのに

なぜ、あのひとがお肉を買いたいってことに

お金を出すのか、納得いかない」

とかね。

 

はい、生々しい話でしたよ。

 

あるとき

私が会計をやっていて

お金の管理をしていたときのこと。

クローゼットの中に入れていた「みんなのお金box」から

なんどもお金が紛失した。

 

まあ、そのたびにミーティングをして、

また揉めて揉めて、

まるで国際会議みたいでした。

 

いま考えてみたら

しょうがなかったなあと思います。

価値観も

背景も

まったく違うひとたちが集まっているわけなんで

揉めないはずがない。

 

ポーランド人は、

まだこの間までバターひとつを買うために

何時間もお店の前で列を作っていたわけだし。

ルーマニア人は、

まだこの間までチャウシェスク政権のもと

電気が途絶えた家でロウソクを灯して暮らしていたわけだし。

グルジア人は、

旧ソ連のせいでやっぱり電気が止められ

寒い冬を過ごすために街中の街路樹を切って燃料にしたそうだし。

そこでブラジル人が

ブラジルのアボガドは、なにもしなくてもバスケットボールみたいに育つんだと言ったり。

 

まあ、すごい国際会議でしたね。

 

ときには

ものが飛び、

椅子も飛び、

みんな英語は母国語ではないから

エスカレートすると自国語で言い争い、

はたまた歴史の話になり、

おまえの国はかつて自分の国でどんなにひどいことをしたか主張し合ったりね。

 

私も

喧嘩するたびに

英語が上手になってよかったけどね。

 

みんな理想を求めているけど

ひとって

まだまだなんだなあと

つくづく思いました。

 

私も理想を求めて行ったけど

なあんだ、

しょせん人間なんで

求めるのは大事かもしれないけど、

まだまだ途中段階なんだなあと思ったのでした。

 

未熟でけっこう。

 

まだまだで当たり前。

 

オイリュトミー学校を卒業して

何年か経って

前世療法を知ったとき

 

それを経験しに

みんな生まれてきたんだなと実感しました。

 

だから

 

正解とか気にしなくていい。

 

まだまだな自分を思いっきり生きればいい。

 

いまは、そう思うのです。

 

 

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