「べきだちゃん」が生まれた日〜サブパーソナリティーのこと、もっと。その2 | あっこちゃんの「あ〜人生はすべてぬちぐすい」ブログ

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セラピスト細川明子の日々いろいろ人生いろいろ。
日々いろいろ人生いろいろあるけれど、ぜんぶが命の薬(ぬちぐすい)なんだよね。

いったん心を閉ざし、

その後開いた私はやっぱり大変でした。

 

一時的に母は私を放っておいてくれたけど、

根本的に変わったわけではないので

また

わ〜〜わ〜〜わ〜〜わ〜〜。

 

 

こんど私がやったことは、

言われることに「合わせること」でした。

 

 

 

 

 

お姉ちゃんだから、お手伝いをしなさい

→は〜い、します。

 

女の子なんだから、きれいにしなさい

→は〜い、そうします。

 

早くしなさい

→は〜い、がんばります。

 

などなど。。。

 

 

 

 

ま、いわゆるいい子になったってことですね。

 

大人にとってのいい子。

 

大人にとって都合のいい子。

 

 

 

 

小さい頃は

求められていたことが何か理解できなかったけど、

少し大きくなった私は

理解できるようになっていたのと、

求められるものに応えられるくらいの行動ができるようになっていたことも大きかったかなあ。

 

 

そして

そんな中で

「べきだちゃん」が少しずつ生まれ、育っていきました。

 

 

こうあるべき、というまわりの要望や期待に応えていく「べきだちゃん」

 

 

これくらいの時期、

「べきだちゃん」とともに

もう一人のサブパーソナリティー「こたえるぞ」も生まれました。

「こたえるぞ」のことは、またこんど。。。

 

 

 

 

 

「べきだちゃん」が育っていく栄養は、

 

要望や期待に応えると、

 

責められない

 

うるさくない

 

受け入れてもらえる

 

認めてもらえる

 

というものでした。

 

 

 

 

そんな中で

みごとに「べきだちゃん」は育ち、

私の中のいちぶとして

しっかりとした存在になっていったのです。

 

 

 

 

 

 

「べきだちゃん」は、頑張りました。

 

責められないために

 

うるさくならないために

 

受け入れてもらえるために

 

認めてもらえるために!

 

 

 

 

また

「べきだちゃん」のおかげで、得たものもあります。

 

安心感

 

満足感

 

安定感

 

肯定感

 

静寂。。。

 

ほかにもきっと、たくさんあります。

 

 

ぜんぶ当時の私が欲しかったものばかり。

 

 

 

欲しかったものを得るために

頑張った「べきだちゃん」!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、

 

いまでは

「べきだちゃん」頑張った!と思えるけど、

 

ずっと

私にとって「べきだちゃん」は

やっかいな存在でした。

 

 

 

なぜなら

 

「べきだちゃん」という存在をちゃんと知らなかったからです!

 

 

 

 

 

 

今までこのサブパーソナリティーという考え方を

いろんな患者さんたちのセラピーやカウンセリングの一環として使ってきました。

 

 

最初みなさん、

 

 

「自分のことを好きになりたいのに

嫌いな、いやな自分ばかりで、ホントうんざりです。

ときどき、自分っていいな、と思うときもあるんですよ。

でも続かないんです!

もう、ホント嫌いな自分ばっかり。

いったいなんでこんな自分になるのか

わけわかりませんっ!

わけわからなくなるから、

なるべくそういう自分にならないように頑張ってきたんです。

それでも

なっちゃうんです〜〜!

なっちゃうと、大変なんです!」

 

 

どうにかすると。。。

 

 

「私って、すごくイヤな人間なんです!

そんな自分のこと、大嫌いです!!!」

 

 

 

それが、とても苦しくて苦しくて、なんとかしたいと思って、セラピーを受けに来ました、という方が多いです。

 

 

そんな苦しくて苦しくてという、けっこうたくさんのひとたちと

このサブパーソナリティーワークをやってきました。

 

ワークを通じて

みなさん、自分の中のいろんな自分に気がついていきます。

こんな自分がいる、

あんな自分もいる、

こんなところにも、もうひとりいた!

 

 

 

私も自分自身のサブパーソナリティーを知っていく中で

「べきだちゃん」に出会いました。

 

それまで

「べきだちゃん」が登場すると

私のぜんぶが「べきだちゃん」に思えて、

すごくつらくて、苦しかったです。

 

 

でも

サブパーソナリティーを見つけていくと、

それぞれのサブパーソナリティーが

自分自身のぜんぶではなくて

いちぶだということがわかってきます。

 

 

それは

とても大きな気づきになります。

 

 

 

ぜんぶ、だと思ってしまうと、

飲み込まれてしまって

どうしようもできないような感覚になってしまいます。

 

でも

いちぶ、だとわかることで

なんとかできるかも、というスキマみたいなものができます。

 

 

 

そのスキマの存在は

大きいです。

 

たとえば

客観性というものになります。

冷静さになるかもしれません。

それは余裕というかもしれません。

 

 

つい、

主観的

感情的

といった、どうにかすると狭いところに自分を押し込めてしまいがちなものから

離れることもできます。

 

 

それはね、

楽なんですよ〜〜〜照れ

 

なにが楽かって

 

自分と付き合うのが楽〜〜〜照れ照れ

 

自分でいるのが楽〜〜〜照れ照れ照れ

 

 

 

 

だから私もいまこうして「べきだちゃん」のことを

客観的に

余裕を持って

楽〜〜に書けるし、

楽〜〜に、こうしてほかのひとに紹介できるし、

 

また今回こうしてブログというものに書くことで

「べきだちゃん」についての

さらなる気づきもあったのです。

 

 

 

そう、

私の中の「べきだちゃん」の存在価値は、

欲しかったものを得るためだけではなかったのです。

 

image

これを書いている途中

ふと窓の外を見ると

大きな不思議な雲。

「母船だ〜」

「クジラかも〜」

なんだか大きな気持ちのいいエネルギーの雲でした。

 

 (つづく)