私は良い先生との出逢いが大変少ないのです。

 

高校時代、私立の女子高の音楽科で学びました。

 

 

学年主任であり、担任であった末○先生(高齢の女性)は良くない先生でしたショボーンショボーン

ピアノの教え方も下手だと思う。ミスタッチだけを責めるだけの指導。

大人になった私が考えても、問題がある先生だと思う。

 

クラスメートの友達がいじめられていました。

ある授業で2人の友だちを名指しでみんなの前で罵倒しつづけたのです。

その2人は仲良しだったので、私は守った。

(内気なのに突然正義感に燃える時がある)アセアセ

 

その教科は子供の頃から習っていたからクラスでトップの方なので

教えてあげるように。

それが気に食わない末○先生は、急に今度はイライラを私にぶつけるようになった。

お気に入りだった私が反抗したから許せなかったのだと思う。

 

反抗といっても先生のつまらない冗談にもいちども笑わないなど、小さな反抗だ。

 

修学旅行でテーブルマナーがあり、正装して食事を待っていた。

そのときある友だちが、「holywindyちゃん、とっても綺麗ね」と

私の洋服を誉めた。

それを聞いた末〇先生は大声で

「人はみかけじゃないんだよ!なあ、holywindy!」と

皮肉を言ったのだ。

 母が買ってくれた真っ白なブラウス。(別に高額な物ではありません)

すべてを否定されたような悲しい気持ちになった。

先生の声で皆、シーーーンと静まり返ったのだ。

 

みんな末○が怖かった。だれも先生を好きな生徒はいなかった。

1年前に末○が標的にしていた生徒が学校を辞めさせられたことを私は知っていた。

 

私も悪いことをしたことがある。

自習の時間に、友達7人にさそわれてラーメンを食べに行ってしまったのだ。

絶対に見つからないと思うような場所にある、隠れ家のラーメン屋さん。

そこに偶然、見た事のある年配の男性教諭がいたのです。

(私は帰らなくちゃとヒソヒソ告げたけど、みんなラーメンに夢中で。。)

 

不良でもない。髪の毛もおさげにしていたし、コートの上にマフラーを

巻かなかったし、カバンもつぶさなかった、スカート丈も気をつけていた。

大学受験という最大のプレッシャーの中、ダメだダメだと何でも否定

しつづけられ、生きることがつらかった時期だ。

 

ほんの一度でいいから、末○に「ここが良かった」と言ってもらえていたら、

私は自○未遂なんてしなかった。

 

 

 

ある日、学校に行くふりをして休み、ありったけのおこづかいを持って電車に

のった。

自殺の名所へ行ったのだ。

 

 

両親からもいつも叱られてばかりだった。

妹からもバカにされ続けていた。

何のために生きるのかわからなかった。

規則、規則、規則、すべてにしばられて、不良になることもできず、

息ができなかった。

 

 

 

自殺の名所についたとき、ひとりのおじさんに声をかけられた。

男性が怖かったので、無視して海のそばに逃げた。

 

おじさんはいつの間にかいなくなっていた。

 

手首をカミソリで少し切って海に飛び込もうとしていた。

 

 

遺書もない。

学校のカバンと靴と、友だちとの交換日記だけ。

 

 

 

そんな時、空がとても青かった

海の波の音が気持ちよかったニコニコ

ひとりで1時間ぐらいぼーっと海を見つめていた

 

 

するとさっきのおじさんがそばに来た。やさしい笑顔で話しかけてきた。

「ここはね、人がいっぱい死ぬところだから危ないよ。」

 

 

そのおじさんは耳がきこえない人だと知った。

私の唇の動きを読んで、話をしているのだと教わった。

 

 

おじさんに連れられて、おじさんの土産物店でお茶をごちそうになった。

おじさんは、ただ優しかった。

こんなに優しい笑顔をみたことはなかった。

おじさんが耳がきこえなくとも、一生懸命生きている姿に心を打たれ、

生きなくちゃいけない、生きようと思った。

 

泣きそうになったけれど、恥ずかしすぎて何とか我慢していた。

 

私はおじさんにお礼をいって、3時間かけて家にもどった。

 

 

悩んで苦しいとき、神さまは不思議な出会いを与えて下さった。

それからは末○先生の虐待に耐えて、希望の音楽大学に受かったのだ。

入試(英語などや歌、聴音、楽典)は簡単だった。

ピアノもこれ以上ないほどうまく弾けた。

そして、講師の先生ではなく、ある有名な教授先生の門下生となる。

 

そこで出会った友に人生を狂わされるほどの酷い仕打ちをされる事など

気づいていなかった。

 

 

その話はまた今度。