ども。堀井です。
お正月スペシャルと題しまして、【リーダー失敗体験】をお届けしようかと思います。
もっとも、私どもの研修会社は「すねに傷を持った経験」を大変尊重しています。
挫折体験からはい上がった経験や学びこそ、他者に共感・共鳴を生むエッセンスです。
私の地元は横浜ですが、北海道の函館の高校に下宿生活をしながら通学していました。
高校から吹奏楽部でドラムを始め、日曜以外は毎日3時間練習に明け暮れていました。
部員20名で弱小の部でしたが、「マネジメントは自分たちでやれ」という方針で、顧問の先生による指導監督はありません。
歴代の部長は、交響楽団の指揮者。ヨーロッパのピアノコンテストで受賞し、大手の音楽メーカーに勤める方などがいます。
その部の部長に、音符も読めない私が、勢いと後輩との関係性を買われて部長に選ばれました。高校2年の7月のことです。
ところが11月。
私は20名ほどの部員の前で「今日限りで退部する」と表明しました。
その晩は自転車で街中を放浪した記憶があります。
あてもなく、ただただ知らない交差点を右に、左に、、、
気づけば深夜の1時でした。
11月の函館は、骨まで冷えます。
コンビニで暖をとり、ビスケットを買い、なんとか下宿先に帰りました。
なぜ退部に至ったのか?
それは、2年生の同級生部員全員から、「堀井が部長でいる限り協力できない」と突きつけられたためです。
私が部長に就任した7月から分裂がはじまり、11月のある日に決裂したのです。
その原因はこうです。
まず私はビジョンと戦略を以下のように掲げました。
【1.来年の7月こそ全道大会(県大会)に出場する】
↓そのために
【2.来年6月の地区大会で金賞をとり、上位3校に入る】
↓そのために
【3.ライバルが30校と多い小編成(30名以下)ではなく、中編成(30名以上)の5校と戦って勝ち抜く】
↓そのために
【4.部員を10名増やす】
↓そのために
【5.毎月放課後に演奏会を開き、新入部員を勧誘する】
↓そのために
【6.わかりやすいポピュラーな曲を披露する】
部が崩壊した理由は、研修会社のプロとして思えば単純です。
私は、1~6の戦略を部下には話していました。
ところが、同級生には5~6しか伝わっていなかったのです。
なぜか。
同級生との関係性構築を面倒に思っていました。
「上級生なんだからしっかり後輩を面倒見てくれ」
「部の方針は言わなくてもわかってくれないと困るよ?」と言った具合です。
では、なぜ後輩たちは自分についてきてくれたのか。
それは、その年の地区大会で、金賞を逃した悔しさを語っていたからです。
『先輩たちの有終を金賞で飾ることができなかった。
この雪辱は自分たちで落とし前をつけよう。』と。
この、【ミッション】とも言える情動的な考えを、同級生と共有していなかったことが致命的でした。
上の1~2は、部のミッション・ビジョンともいえる重要な言葉です。
6の選曲など、枝葉のどうでもいいものです。
しかし、同級生にしてみれば、わたしはそのどうでもいい選曲にこだわるリーダーに見えていたのかもしれません。
まして、コンクールのお題とは無縁なポピュラーな曲です。
この経験から得た学びはこうです。
1.なによりも関係性。反論を面倒くさがらずに自己開示する。
2.ミッション・ビジョンは必ず言葉にする。
3.ミッション・ビジョンは背景のエピソードも含めて全員と共有する。
4.戦略・戦術作りは組織の上位者(部で言う同級生)に権限移譲する。
10代から20代前半は不安定な時期です。
他人からの批判を過剰に恐れがちです。
10代の私は、自信の無さゆえに、同級生からの批判や反論を過度に恐れていたのかもしれません。
だから関係性が築けなかったのでしょう。
この挫折経験はその後のティーム堀井にも多分に活かされています。
関係性構築と、ミッション・ビジョン・バリューの情動的な浸透は自信をもっています。
ところが・・・・です。
ティーム堀井結成の数年前に、蒸し返したかのような失敗をしています。
関係性が良いにも関わらず。
続きはまた後日お話ししましょう。
堀井
