このブログは、
ほりりんという間もなく56歳になるオッサンが、
現在の苦境を脱し、夢をかなえるまでの軌跡を記録するものである。
とはいえ、ほりりんの再生に寄与した行動や気づきだけを記録しようとするものではない。どの行動が再生に寄与したかを今時点で判断できないから、今日やったことや考えたこと感じたことを思い出しながら徒然に書き留めておこうと思う。
感動のスタートラインに立っている。
昨日は、そう思うことで少し気持ちが上がったのだが、一体全体その感動とやらはいつやってくるのだろうと考えるとまた欝々してくる。
左脳が一生懸命に不足を見つけてくる。
左脳さん乙。
でも、生きると決めたから。生きると決めた以上、生きることを楽しまなきゃうそだろう。
自動思考対策は、瞑想やエレベータの呼吸、散歩や家事・・・とにかく左脳が活性化しないようにあれこれ良いと言われていることをやっている。
今日、もう一つ追加した。
「俺はなんでこんなに幸せなのだろうか」と自分に質問するのだ。
答えは探さなくていい。
この質問をすると脳が騙され、潜在意識(108式に言えば別の領域、エイブラハムならソースかな)が幸せな状況を作るとのこと。
たしかに、この質問をした直後、少し気持ちが明るくなって口角が上がった。なにがしかの効果はありそうなので、これも取り入れることにする。
今日、チョットいいことがあった。
しばらくご無沙汰している友人がインスタの投稿にコメントくれた。
「またポートレートをやりましょう」と。
たしかに、ここのところ投稿している写真がスナップばかりだった。
人を撮りたいと思っても機会がなかった。
その友人はモデルだが住まいが遠いので簡単には会えない。
ポートレートを撮る機会を何とか自分で作ってみようかな。
友人のコメントがそんな気持ちにさせてくたのであった。
明日は撮影の仕事が入っている。
珍しくマンションの内観撮影だ。
それなりにテクニックが必要だ。
経験が少ないので心配だが、やるしかない。
あぁ~また不足にフォーカスした。
もう救いようがないくらいのネガティブ思考だ。
まぁいい。気づけばいいのだ。
そのうち、出てこなくなるだろう。
ポジティブ思考だとどう考えるのだろうか。
「よし、これで経験値があがる。」
「どんな写真が撮れるかわくわくする。」
「仕事の依頼を貰えたことは良い兆候だ。」
「ともかく、仕事がある。」
こんな感じだろうか。
数は少ないが友人がいる。
食べていくには不十分だが、仕事のオファーが来る。
数が少ないだとか、食べていくには不十分だとか、不足にフォーカスするのではなく、気にかけてくれる友人がいることや仕事のオファーをくれる人がいることに感謝しよう。
ゴールが見えないからといって歩みを止めるわけにはいかない。
もう俺は感動のスタートラインに立っていない。
既に感動に向かって走っている。
そう考えよう。