少し前になりますが、浅草にある「待乳山聖天」に参拝しました。
『東京でひっそりスピリチュアル』という本で、このお寺には一度取材に行ったことがあります。
ですから、先日の参拝は2回目でした。
ここには、ものすごーく強い聖天さんという仏様がいます。
聖天さんは、神様と仏様の中間にいて、仏様のほうにやや近いです。
でも、神様のように実体として存在しており、個体差があるという、なんとも不思議な仏様なのです。
持っているパワーの種類や大きさから、魔神? という雰囲気で、まさに魔神なのでは! という聖天さんがいたりします。
でも、ここの聖天さんはそこまで魔神っぽくありません。
少しまろやかで優しい感じです。
聖天さんはどこも秘仏となっているため、私はまだ会話をしたことがなく、詳しいことはわかっていません。
存在は牛頭天王と似ていますから、人から飛ばされた悪想念や生霊を落とすことができます。
待乳山聖天は2回目の参拝となるため、もしかしたら少しは聖天さんのことがわかるかもしれない♪ と淡い期待を持って行ったのですが……
やっぱりよくわかりませんでした。
聖天さんに手を合わせ、そのあと境内社のお稲荷さんにご挨拶をしました。
前回の取材で、聖天さんのことをいろいろと教えてくれた、親切なお稲荷さんです。
「こんにちは~!」とお社のそばに行くと、
「元気だったか?」と、ニコニコと歓迎してくれました。
そして、嬉しそうにこう言ったのです。
「お前の名前を口にする者がたまに来る」
本やブログに書いた神社仏閣に、ふたたび行くと、けっこうな確率で同じことを言われます。
神仏は、私の読者さんの参拝が本当に嬉しいみたいです。
というのは、読者さんは、私が本やブログに書いた情報を読み、それを信じて参拝するわけです。
心の中には、私が書いた神様や仏様の本当のお姿(人間で言えば、人柄や性格、です)があります。
その状態は、いい意味で、緊張がとけており、親近感が加わっています。
まったくの白紙状態での参拝は、本人が気づいていない緊張や、かしこまる気持ちなどが入っています。
これはこれで、尊い信仰です。
この尊い信仰と、神仏を敬う気持ちは同じ、
でも、ちょっぴり緊張がとけていて、親近感の加わっているほうが、「好き」という気持ちがあたたかく、丸いのです。
かしこまりすぎて、カチコチになった心で参拝した場合の、「神様大好き」「仏様大好き」よりも、
神仏の本当のお姿を思い描くことで、親近感が加わった、「神様大好き!」「仏様大好き!」のほうが、神仏は嬉しいわけです。
私の書いたもので「ここにいる龍は笑う」と知っていれば、参拝した時に、笑っている顔の龍、優しそうな龍、とイメージすると思います。
すると、「龍、大好き!」の気持ちが柔らかくなるわけです。
「信仰」の部分は同じでも、「質」が変わっています。
話を戻しまして……
待乳山聖天のお稲荷さんはニコニコと、そのような読者さんが来る、と教えてくれたのです。
次の本のテーマでも、このお寺が出てきます。
「その本を読んで来たという人にはよくして下さい! よろしくお願いします!」
そう言うと、お稲荷さんはとても明るい表情でうなずいていました。
おう! まかしとけ! みたいな感じでした。