神社参拝の帰りに、もしくは翌日などに、よくないことが起こった、
神様に嫌われたのだろうか……
あそこの神様と相性が悪いのかな……
もう二度とあの神社には行かないほうがいいのだろうか……
と悩む方がおられるようで、そのような質問をたまにもらいます。
神様に会いに行ったのに、よくない出来事が起これば、そのように考えるのは当然かもしれません。
人間は、自分では気づくことができませんが、「大きな不運」を持っていることがあります。
この「大きな不運」は、仕事上での大失敗、事故、病気、人間関係の破綻など、いろんなものに姿を変えます。
なぜ、このような「大きな不運」を持っているのか、どこで拾ったのか、それともどこかでくっついてきたのか……
という、そのあたりのことはまだわかっていません。
「運」というもの自体、まだまだわからないことだらけで、全容が解明できていないのです。
私は過去に、この「大きな不運」を持っていたことがあります。
もちろん、自分では気づいていませんでした。
その時に参拝した神社の神様が教えてくれたのです。
神様は、境内で、私にレンタカーの鍵を落とさせました。
日本語として変な表現ですが、ありえない状況で鍵を落とさせたのです。
鍵はジーンズの後ろポケットに入れていました。
そのポケットは深くて、今まで何度もそのジーンズで参拝に行きましたが、一度も車の鍵を落としたことはありません。
本当に深いのです。
しかもジーンズがタイトなので、しっかりフタが閉まっているような状態です。
どうしてそのピッチリとした深いポケットから、やや大きめのキーホルダー(車種とナンバーが書かれているもので、かなり大きいです)がついている、もっこりとした太めの車の鍵が飛び出したのか……
これはいまだに謎です。
ポケットから車の鍵を出す時は、しっかりとつかんで取り出さないと出せないからです。
物理的にありえません。
で、その鍵を境内で落とさせて、落としたことにまったく気づいていなかった私に、見つけさせてくれました。
どこか別の場所でレンタカーの鍵を落としていたら……
つまり、レンタカーの鍵をなくしていたら、これはよくない出来事です。
このよくない出来事を、神様が〝わざと〟私に与えることによって、私が持っていた「大きな不運」はナシになりました。
「大きな不運」が完了した、という形になったのです。
私が持っていた「大きな不運」は〝鍵を落とす〟と決まっていたわけではありません。
他に作用する可能性のほうが高かったのです。
事故や病気になっていたのかもしれません。
神様は、この「大きな不運」を〝鍵を落とす〟という出来事に変え、さらに〝見つけさせてくれた〟のです。
おかげさまで、近い将来、災いを招いたであろう「大きな不運」はなくなりました。
このように、不運を持っている人は、神様がその不運を消してくれることがあります。
その結果、残るのはよい運だけ、となり、運気上昇、開運、へと続くわけです。
「大きな不運」を消すための方法として、ちょっとしたよくない出来事があったとしても、これを神様の開運方法だと知るのは……
声が聞こえなければ、難しいかもしれません。
神社で歓迎のサインがもらえた、境内を気持ちよく感じた、などのよい印象の神社だった、
それなのに、そのあとでよくない出来事が起こった、
という場合は、「大きな不運」を消すという、開運方法の可能性「大」です。
今は知ることが難しくても、あちらの世界に帰ったらすべてが見えますから、その時にいろんなことがわかります。
よくない出来事があったからといって、神様に嫌われた、あの神様とは合わないのかもしれない、と思わないほうがいいですよ~、ということをお伝えしておきます。
私にこの大事なことを教えてくれたのは、奈良県にある「葛城一言主神社」の神様です。
(詳細は『おみちびき』という本に書いています)