前回の記事にアップした写真で、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)の境内の様子が、なんとなくでもわかっていただけたのではないでしょうか。
一の鳥居をくぐったところで、ものすごく古い歴史を感じました。
由緒板には807年の創建と書かれていましたが、もうちょっと古いです。
境内に入った瞬間に「うわ〜、古い神社だな〜」と思いました。
ご祭神は山の神様、ということはすぐにわかったのですが、本殿にはいません。
はて? と思って境内図を見ると、本宮のことが書かれていたので、ああ、なるほど、そちらにいらっしゃるのだな、と知りました。
山の神様のことを先に言うと、本宮のお社ではなく、山そのものにおられます。
遥拝所で手を合わせた時に、そのことがわかりました。
本殿にいたのは、古い時代(奈良時代〜平安初期)の、正装をした男性の神様です。
お年寄りではありません。
30代後半から40代前半? くらいでしょうか。
生前の身分が低くないことは、見た瞬間にわかりました。
この日、私はやや体調が悪く、かなりしんどかったので困っていました。
そこで、本殿で、健康が回復するようお願いをしました。
しかし、神様は出てきません。
社殿や境内の写真を撮ったりして、けっこうそこで待ちましたが、まったく出てくる気配がないのです。
こちらへは出てこない神様なのかな? と思ったので、本宮遥拝所のほうへと行きました。
遥拝所で山の神様にご挨拶をして、そこから境内に戻ります。
本殿へと続く細い道(黄色でなぞっているところです)の端っこに、立った時でした。
本殿のほうから、神様がてくてくと〝歩いて〟来るのです。
しかも、両手で、少し大きめの白い御幣(ごへい)を持っています。
御幣とは、神職さんが祈祷の際に、シャッシャッとする道具、棒に白い紙がついているものです。
神様が持っていたのは、紙垂(しで)がたくさんあるタイプではなく、
あちこちの神社で、社殿の前に置かれているような、どーんと大きな紙垂が2つついているタイプです。
それを両手で持って、トコトコと歩いて来ます。
は?
えっと? 神職さんではなく、神様なのに?
なぜ、御幣を?
え? なんで? なんで??
と、頭の中がハテナマークだらけになりました。
正面からやってきて、私の前まで来ると、「祓ってやる。頭を下げよ」と言います。
「はい」と頭を下げると、右肩、左肩、頭上を、御幣でシャッシャッと祓ってくれました。
へぇ〜!
神様なのに、こういうやり方で祓うんだ〜、と驚きました。
珍しいです。
祓い終えると、神様は、私をじーーーーーっと見て、こう言いました。
「お前は妖の『気』をつけている」
「あ、はい。そうです。昨日、妖のパワーを持った龍神のところに行ったので、その波動をいっぱい浴びました」
神様は、「妖の『気』も祓うか?」と聞きます。(本の取材で会いに行った龍神なので、龍神の詳細は本に書く予定です)
「つけているとよくないのですか?」
「悪くはないが、つけておく必要はない」
「では、祓って下さい」
こうお願いすると、また御幣で、右肩、左肩、頭上をシャッシャッと祓ってくれました。
祓い終えると、神様は「よし!」と言い、
そのまま、くるりときびすを返します。
そして、私に背を向け、本殿へと歩いて行くのです。
え?
「あの? 神様? まだ、会話は続いていますよ? 話は終わっていませんけど〜」
そう言いましたが、神様は本殿に向かって、サクサクと歩いて行きます。
「あれれ? ちょっと、ちょっと、神様〜!」
と、手を伸ばして、声をかけましたが……
神様は、すたすたと帰っていきました。
「ん? 祓い終わったからワシは戻るが? なにか?」みたいな、まったく悪気のない、無邪気な雰囲気でした。
生前、ものすごく身分が高い人だった、というオーラもバンバン出ていて、
「あ、いえ、どうぞ、ご随意に」と言わずにはいられない風格でした。
本殿から出てこられたのも、参拝者に合わせるのではなく、ご自分の都合でしたし……
超いいとこのおぼっちゃんだったみたいです。
独特の特徴が、後醍醐天皇や、徳川吉宗さんと同じでした。
その気ままなところになんとも言えない愛嬌があり、私はこのようなお方が大好きです。
ご本人は気づいていないのでしょうが、ほのぼのとした面白さがあります。
このあと、体調はしっかりと、120%回復し、元気ハツラツとなって、取材を続けることができました。