前回の記事で、うまく説明ができていなかったところがあるので、ちょっと補足をいたします。
正確に伝えるって、難しいですね~。
ここをちゃんとお伝えしないと、あとがわかりにくいかもしれないので、やや重なるかもしれませんが、ご容赦下さい。
私が驚いたのは……
たとえば、私についてくれている五芒星お稲荷さんは、自分では五芒星を描けませんでした。
けれど、人間の私と一緒に五芒星をまわったため、すごいパワーをゲットしました。
そのことをとても感謝していて、それで私を守ってくれています。
それはわかりますし、お礼として守ってくれることがある、というのも知っています。
元気がなかった清高お稲荷さんや、於菊さんとこのお稲荷さんもそうです。
秀吉さんもですね。
参拝に行ってくれた方々が、厳しい状態だったのを、明るい状態へと押し上げてくれました。
神様はそれを感謝していて、それでお礼をする、のもわかります。
お礼としてラッキーなことを授ける、守る、願いを叶える、ということがあるのは知っているのです。
これも「仁義」と言えば、そうですね。
でも、私が言いたいのは、「人間がここまでしてくれたから、神様のほうもする」という……
なんと言いますか、お礼をするという感じではなく、もっとこう、お返しをする、義を果たす、みたいな、そういう部分が神様にあるというのが、へぇー! だったのです。
くぅぅ~。
ここ、伝わっていますでしょうか?
玉置の神様は、本当にお忙しいです。
力のある、大きな神様でもありますし、たったひとりの人間のために、動くことはありえないのです。
けれど、「お前がしてくれたから、ワシもしよう」ということで、そのありえないことを、してくれたわけです。
たとえばですが(完全にたとえ話です)、玉置の神様が12月に神在祭に行く予定だったとしても、「お前がしてくれたから、ワシもしよう」ということで、神在祭をキャンセルし、オーストラリアについていってくれただろうと思います。
こういうことなのです。
私が本気で驚いた、その理由が、わかってもらえましたでしょうか?
人間が神様に何かをする、それを当たり前だと思っていない、ということも含めて、
「えええーっ!!!」と思った、というわけです。
※続きます。