親族が亡くなった時に、どうしても持たせてあげたいものがあった。
なので、棺に入れてあげた。
亡くなった人と一緒に焼かれたから、あちらの世界に持っていけただろうとは思うものの……
本当に持っていけたのだろうか?
あちらの世界でちゃんと使えているのだろうか?
と、疑問に思ったことがある、という方は意外と多いのかもしれません。
たとえばですが、義理の父は、生前信仰心が薄い人だった。
もしかしたら、あちらの世界で迷ったり、困ったりするかもしれない。
そう思うと心配で心配で……
そんなことにならないように、死後の世界のことを書いた本を棺に入れてあげた。
みたいな感じです。
大丈夫です。
棺に入れたものは、ちゃんと持っていっています。
数年前に亡くなった私の従妹が、自分のお葬式の時に、棺に十字架を入れてほしいと伝えてきました。
亡くなっていて、あちらの世界に今から帰る、というその本人が、棺にいれてほしい、と訴えたのです。
棺に入れられたものは、持っていけるということです。
三途の川の渡し賃もそうですね。
持っていけるから、持たせてあげるという風習が、古くからあるのです。
けれど、亡くなった人がすっごくオシャレな人だったからといって、洋服も何枚か持たせたほうがいいのかというと、これはそうではありません。
洋服に関しては、持たせたもの……
つまり、亡くなった人が着せられていたものだけしか着られない、ということはないのです。
服は、亡くなった人が、自分が見せたい姿に反映されるからです。
亡くなった人は、あちらの世界ですごす姿を、自分で選べます。
亡くなってから、何かを知らせるために姿をあらわす、お礼を言うために姿を見せる、など、
生きている人間の前に立ったり、生きている人間の夢の中に出たりする時も、自分で姿を選べます。
その人だと、すぐにわかってもらえるような姿で出てくるのです。
入院生活が長くて、その間に何回もお見舞いに来てくれた人の前に出る時は、パジャマ姿だったりしますし、
学生時代に仲良しだった友人のところに何かを伝えにいく時は、亡くなった年齢の姿ではなく、学生時代の姿でいきます。
あちらの世界に帰ったら、姿を変えることができるので、服もそれにより変化をするわけです。
ですから、よほど特別なものでない限り、服は持たせてあげる必要はないということです。