昨日、更新するつもりでいたのですが、福岡を発つ時点で疲れ果てており……
帰宅して、それからブログを書くのは無理でした。
自分が思っている以上に、体力って衰えているんですね~。
というか、2人の子どもと遊ぶって、疲れるんですね~。(私の子どもは息子ひとりだったので)
というわけで、前々回の続きです。
その前に、見えない世界について、理解していただきたいことがあるので、ちょっと書いておきます。
世の中には、私がブログや本に書いている内容と、正反対の意見がたくさんあります。
見えない世界のことを書いているのですから、意見が違う人がいるのは当然です。
スピリチュアルは、ある意味、宗教と同じです。
空海さんが言うことを信じるのか、キリストが言うことを信じるのか、みたいな感じで、誰が言う説を信じるのか、なのです。
空海さんとキリストを比べて、どっちが正しいの? 間違っているのはどっち? とアラを探すのではなく、
宗教は、どちらの言う説が、自分と〝合っている〟のか、を考えます。
生前の空海さんとキリストは、見ていた「見えない世界」や、属する宗教が異なっていました。
「見えない世界」の場所というか、空間の位置というか、その宗教が存在する世界というか、見ていたところが、同じではなかったのです。
住んでいた地域の「見えない世界」の違いもありました。
それで、部分的に異なった意見もあるわけです。
それだけのことです。
ですから、空海さんを信じている、だけど、この部分だけは自分と合わないな~、と思っても、ぜんぜん問題ありません。
この部分は、キリストの言う説のほうがしっくりくる、と、そちらを信じてもいいのです。
宗教は、必ず、特定のひとつだけにしなければいけない、ということはありません。
自分に合うところだけ、いいとこ取りをしてもオーケーです。
スピリチュアルも同じです。
見えない世界は、どなたでも、あちらの世界に帰った時に、真相がスッキリとわかります。
それは逆に言うと……
死ぬまでは、誰も明確に証明ができない、ということでもあるわけです。
なので、〝自分と合う〟意見を採用すべきだと、私は思います。
今回の話題に関して、私は、自己流の供養は〝慎重にしたほうがいいですよ〟と書いています。
やめたほうがいい、とは書いておりません〜。
自己流でも供養をしたほうがいいと、アドバイスをしている人がいるかもしれない、と思ったからです。
そのアドバイスをした人と私は……
大胆なたとえでたいへん申し訳ないのですが、空海さんとキリストのようなものです。
見ているところが違うのですから、意見も違うわけですね。
そこから先は、ご自分の判断です。
どの意見と自分が合うのか……で、決めていいと思います。
というわけで、スピリチュアルな意見のとらえ方について、ちょっと書いてみました。
質問に関しては、今からメッセージを読んで、それから書きますので、もしも、今日中に書けなかったら、すみません~。