前々回に書いた「自己流の供養は慎重になさったほうがいいですよ」という記事に関して、多くの質問が届いておりますので、補足をしようと思います。(ちなみに質問はまだ全部読めておりません~)
私が、このことを書こうと思ったのは、前々回に書いたような光景を、実際にこの目で見たからです。
知人宅でのことです。
そのお宅では、手書きした「紙」を、ご先祖様として、リビングに祀っていました。
日々、お供え物をして拝んでいたのです。
見ると、おじいさんがひとり、そこに入っていました。
もちろん、おじいさんはご先祖様ではありません。
ご先祖様は仏様と同じような感じで、道がつながる存在ですが、そうではないのです。
はて? このおじいさんはいったい誰? と思いました。
じーっと見ていると、おじいさんはニコニコして、ペコペコとお辞儀をします。
お礼を言っているのです。
その後、リビングで、私がひとりになった時に、真相がわかりました。
おじいさんはこのお宅にまったく関係のない人でした。
それなのに、ここにいるのです。
この家でしている供養が、とても気持ちよくて、あたたかく、居心地がいいから、という理由でした。
供養をしてもらうと格が上がっていきます。(自分のためではなくても、入っているその紙にしてもらうのですから、効果はあります)
それで、おじいさんは温厚な感じとなり、ニコニコしていたのです。
供養をしてもらっていることに、感謝もしていました。
悪い霊ではないのです。
そろそろ、ここを去るべきだということは、本人もわかっていました。
このおじいさんは、供養をしてくれる身内がいなかったため、亡くなってから、自分は何をしたらいいのか、どこに行けばいいのか、わからなかったようです。
迷路に迷い込んだような、困りきった状態の時、ふと、ここのお宅のご主人が思い浮かびました。
過去におじいさんがたいへんお世話になった人であり、特別に優しい人だった、という印象があったので、あの人だったらなんとかしてくれるかも? と、家まで来たのです。
すると、リビングに、大切に供養している紙があります。
けれど、紙はただの紙です。
それで、そこに入ってみた、ということでした。
このようなことは、普通に起こります。
このお宅にいたのは、たまたま、人柄のよいおじいさんでしたが、悪意を持ったよくない幽霊もいます。
自己流でする供養は慎重にしたほうがいいな~、と思ったので、記事に書いてみました。
うわぁ、長くなってしまいました。
質問に関しては、次回にまわします〜。
※続きます。