※前回の補足です。
前回、魔物の「気」の影響を受けないために、般若心経やお不動さんの真言を〝唱え続ける〟ということを書きました。
なぜ、唱え続けるのかと言いますと、周囲にできているバリアに、隙間をあけないためです。
般若心経やお不動さんの真言は、わかりやすいイメージで言うと、自分の周囲に、卵の殻のようなバリア(結界)を作ってくれます。
卵の殻が、中身を守るように、バリアはよくないものから私たちを守ってくれます。
このバリアは、唱え続けていたらできるものなので、唱えるのをやめると、すぐに隙間ができます。
そのまま唱えなければ、その隙間が広がっていって、やがてバリアは消えます。
魔物の「気」は、墨のように真っ黒で、ドロドロしているような、濃いものですから、
バリアに隙間ができると、すぐにそこから入ってきて、べったりとくっつきます。
影響を受けないようにするには、仏様がいる場所(お寺・お堂)を去るところから、唱え始めるのが一番で、山を出るまで〝唱え続け〟ます。
「下山するまで30分かかる山ですが?」
「下山に1時間かかる山は、1時間唱えっぱなしでしょうか?」
と思われるかもしれませんが、私はそうしています。
そこまでしなくても、下山最後の10分間、必死で唱え続ければ、それでオーケーかと言うと……
オーケーかも? しれませんが、オーケーではないように思います、というのが、私の正直な意見です。
無責任に「大丈夫ですよ」とは言えません。
でも〝場合によっては〟最後の10分間だけでも効果がある? かも? しれないです。
般若心経やお不動さんの真言を唱えるのは、〝祓う〟ためではありません。
〝身を守る〟ためです。
祓う目的なら、何回か唱えれば、それでオーケーです。
唱え〝続ける〟必要はありません。
けれど、身を守るためだったら、唱え続けなければバリアができないのです。
隙間を作らないためにも唱え続けます(お坊さんが唱えたものを流してもオーケーです)。
下山最後の「10分間だけ」唱え続けたとすると、般若心経や真言は、まず最初はついているものを祓ってくれます。
そして、それから守りのバリアを作ります。
通常の場所なら、これで問題ないです。
けれど、いるのは魔物の山です。
集団で乗っかられていたら、「祓ってから」 → 「守るバリアを作る」というところまではいかないかもしれません。
魔物の集団が巨大で、強いからです。
乗っかってくるのは、5体、10体などではなく、50体とか、100体とか、とてつもない数が乗っている可能性があります。
私だったら、お堂を出たところから、お坊さんの般若心経とお不動さんの真言を鳴らし始めます。
お堂に着くまでに乗っていたものは、お堂内でいったん、クリアに落ちるので、そこから1体も乗せない、魔物の「気」をくっつけない、ためです。
テープなどを流していて、途中でスマホの電池が切れたら、面倒でもお不動さんの真言を唱えながら歩いたほうがいいです。
「魔」の存在は、甘くみていい相手ではありません。
霊感がないから、ヤバさがわからない……と思うかもしれませんが、前回書いたように、妙に暗く感じたりしますし、じっとりと変な湿気を肌で感じたりします。
その感覚を「気のせい?」と捨てないことです。
しっかりと「ヤバい」と感じなくても、「ん?」程度には違和感を覚えるので、その感覚は信じたほうがいいです。
なんの脈絡もなく、いきなり「ヤバい!」と思うパターンがあり、
これは守護霊からの警告です。
突然「思った」というそれは、守護霊が心に訴えかけて、危険を教えてくれているのです。
それほど危ないところである、いうことです。
重ねて言いますが、「魔」の存在に関しては、軽く考えないほうがいいです。
10月5日発売です。