ありがたいことに、私は読者さんから、お礼のお手紙やメッセージをたくさんいただきます。
皆さん、丁寧に書いて下さっているので、とてもわかりやすいです。
神仏にご縁をもらえた、病気が治った、よくない状況がガラリと良いほうに変わった、収入が増えた、子どもが志望校に合格した、など、内容が具体的に書かれています。
読ませてもらう私は、
「ほぉ~、そのようなことがあったのですね~ 」と驚いたり、
「よかったですね〜 」と嬉しく思ったりして、楽しませてもらっています。
皆さん、「識子さんのおかげです」と書いてくれているのですが、中には、「うわ〜、そこまでお礼を言わせてしまってすみません」と、こちらが恐縮してしまうくらい、感謝を表している読者さんがいます。
願掛けが叶ったり、神仏によくしてもらったり、人生がよい方向に輝きだしたのは、私なんかの手柄ではなく、これは読者さんご本人の、努力の賜物です。
ピュアな信仰心を持って、電車や車に乗ったり、てくてく歩いたりして、神仏に会いに行き、
存在を疑うことなく、一生懸命に神仏にお話をし、
真剣に祈願をした、という、これは一種の努力なのです。
わざわざ神社仏閣まで出向くのは、手間ひまかかります。
時間もかかるし、お金もかかるし、歩いたり、乗り物に乗ったりして疲れます。
神仏に話しかけるのも、面倒くさいと言えばそうです。
黙っていれば、しんどくないし、疲れません。
けれど、話すとなれば、何を話すのか、どう話すのか、細かいことを考えなければいけません。
失礼なことを言わないように気をつける、そこに気を使う人もいると思います。
出かけずに家で、のんびり寝転がって、美味しいおやつを食べながら、テレビを見たりゲームをしたり、好きなことをしているほうが、気分的にも肉体的にもラクです。
それを、せっせと神社仏閣に行く、というのは、一種の努力なのです。
この努力によって、人生はひらけていきます。
神仏は信仰心が厚い人のことを、本当に大切に思っています。
願掛けを叶えたり、「魔」から守ったりして、その信仰に応えます。
神社仏閣にコツコツと参拝することは、神仏の信用を得ることでもあります。
信仰を大事にする人である、という信用ですね。
この信用を積み重ねる努力をしたのは、読者さんご本人です。
私ではありません。
ご本人の功績ですから、私なんぞに、お礼を言わなくても大丈夫ですよ〜、ということを、あらためてお伝えしておきます。
10月5日発売です。