※前回の続きです。
おじいさんに遭遇した時は、円仁さんに言われた言葉が心に浮かびます。
『ごほうび参拝』という本に書いたのですが、円仁さんは、若くして亡くなった後輩に何度も涙したそうです。
幽霊になった人がいたからです。
お坊さんで、仏教の勉強をしていても、幽霊になることがあるのです。
どんなに勉強をしても、修行をしても、必ず成仏できるわけではない、と言っていました。
円仁さんが教えてくれた、その理由は、「魂を現世にしばりつけるような念を持っているから」だそうです。
自分をしばる念を、3次元に置いてしまうと、成仏できないのです。
その念というのは、「憎い」とか、「あいつは許せない」という憎悪の念だけでなく、
残った家族を心配する、強い「愛情」もそうです。
「あれをしたかった」「これもしたかった」という後悔の念もそうですし、
「残した貯金がどうなるのか気になる~」なども同じです。
私は、円仁さんに、
「どうしても書きたかったテーマの本を書いている途中で死んでも、残りを書きたかったとか、完成させたかったと思ってはいけない」
と言われました。
「死んだら、すべてを手放しなさい」と言われたのです。
私は、死後の世界のことは、100パーセントではありませんが、よく知っています。
その私に、あらためてこのようなアドバイスをしてくれたのは、円仁さんが幽霊となった後輩を見て、心を痛めたからだろうと思っていました。
けれど、203のおじいさんを見て、円仁さんの伝えたかったことがよくわかりました。
読者さんの中には、身寄りがない方や、周囲の人が無宗教で供養は期待できない、という方がいらっしゃると思います。
私も独り身ですし、両親が先に亡くなったら供養は期待できません。
このような場合、「自力で」成仏するしかないのです。
光に向かって行くお話は、あちこちに書いているので、ご存知の方も多いと思いますが、
円仁さんのアドバイスも大切なので、しっかりと覚えておくことをおすすめします。
「自分をしばる念を持たない」です。
持っていると気づいたら、すぐに捨てることも大事です。
私も、もしも本を書いている途中で死んだら、「最後まで書きたかったな~」とか「書きかけの原稿はどうなるのだろう」などと思わずに、さらりとすべて手放して、さっさと成仏しようと思っています。
幽霊にならないために、自分で気をつけなければいけないこともあるのです。
今も迷っている203のおじいさんですが、見つけたら、根気よく説得をするつもりです。
自分の存在に気づいているのは私だけ、ということはわかっているでしょうから、そのうち耳を傾けてくれるように思います。
「あ、また、こいつだ。いつも同じことを言うんだよな~」と思われても、
しつこく、しつこく「おじさ~ん、光のほうへ行ってみて~」と言い続ければ、
「ンモー、うるさいやつだな。でも、ちょっと行ってみるか」と、いつかは成仏してくれるように思います。