ある意味、前回の続きです。
いただくお手紙やメッセージによく書かれているのは、「私には神仏の声は聞こえませんが……」という言葉です。
これはマイナスの意味で書いているのではなく、
「神仏の声は聞こえませんが、歓迎のサインをいただきました」とか、
「神仏の声は聞こえませんが、境内で癒やされました」とか、そういう感じで使われています。
お手紙やメールを読むと、謙虚な人、純真な人ほど、この言葉を使っています。
でも、神仏の声をいつか聞きたい、と思っているのなら、この言葉は封印したほうがいいです。
神仏はどの人にも、ちゃんと語りかけています。
聞こえないとわかっているから声はかけない、ということはありません。
魂が聞いているからです。
かけられた言葉を魂はしっかり覚えていますから、あちらの世界に帰った時に思い出してみて下さい。
たとえば、車で事故を起こしそうになって、神様に物理的に助けてもらったことがある、でも声は聞こえなかった、という時も、神様はちゃんと声をかけているのです。
「その声が……まだ聞こえないのです」と思われた方、その思考は捨てたほうがいいです。
というのは、自分で「聞こえない」と、届いている声を拒否しているからです。
神仏とのコミュニケーションには段階があります。
昨日までまったくわからない、聞こえない、見えない、という状態だったのに、
今日、いきなりわかるようになって、聞こえる、見える、となることはありません。
スポーツや習い事などと同じです。
前日までボールがバットに1回も当たらなかったのに、今日からいきなりホームランをバンバン打てるようになることはないと思います。
同じなのです。
大谷選手のレベルにたどりつくには、たとえばですが、「0」から「10」までの段階があります。
「0」はボールがバットに1回も当たらない、「3」はボールがバットによく当たるようになる、「5」はたまにヒットを打つ、とか、「10」のホームランをバンバン打つ、というところまで、レベルが上がっていく段階があるのです。
勉強も同じですね。
昨日まで足し算しかできなかったのに、いきなり数学者レベルの問題が解けるようになることはないと思います。
私が書いたものを読んできたという方は、私と一緒にスピリチュアルを多く学んできています。
ずっと「0」のままではありません。
徐々にレベルは上がっているはずなのです。
けれど、「私には神仏の声は聞こえません」と言ったり、思ったりすることで、
すでにレベル「5」かもしれないのに、「聞こえない」と自分で「0」と決めているわけです。
「0」と「決めている」ので、体も脳もちゃんと反応して、神仏の声を聞くことはありません。
非常にもったいないです。
さりげなく、たまにするといい練習の仕方をどこかに書いたと思うのですが……
もしかしたらまだだった? とも思うので、次回それを書こうと思います。
※続きます。