昨日、無事に取材から帰宅しました~。
というわけで、前回の続きです。
「神様になっている眷属のほうが強そう! できれば、そちらに来てもらいたい」
「一の眷属が無理なら、二の眷属とか、なるべく強い眷属に来てもらいたい」
と思うことが、ありえないくらい贅沢と言いますか、欲張りな希望であることを、順に説明したいと思います。
まず最初にお伝えしたいのは、神棚に鎮座してもらい、家族を守ってもらうことに関して言えば、「神様眷属」も「眷属」も、差はほぼありません。
二の眷属も、その他大勢の眷属も、です。
家族を危険から守る、ちょっとした願い事をあれこれ叶える、生活をよくする、くらいのことは、眷属だったらどなたでもできるからです。
神社のように、何百人、何千人、何万人もの人を守る、願い事を叶える……となれば、神格やパワーが関係してきますが、対象が家族ですから、そんなに差はありません。
と言いますか、「来てくれる」という、このこと自体が、実はめったにないことである、というのは、知っておいたほうがいいです。
神棚におふだをお迎えしても、眷属が来てくれるとは限らない……どころか、
正直に言いますと、来てくれないほうが圧倒的に多いです。
でも、これが普通です。
ですから、もしも、来てくれたのであれば、それはものすごーーーーーーーーーーーーーくラッキーであり、ありがたいことなのです。
普通であれば、神棚にお祀りしたおふだは、神社の「窓口」です。
「え~、窓口?」と、ちょっぴり不満に思ってしまうかもしれませんが、窓口でも、ありがたいことです。
家に神棚がなければ、緊急事態が発生した時……ご縁をいただいている神仏がいなかったら、助けに来てくれる神仏はいません。
けれど、窓口があったら、手を合わせることによって、神社に直通で声が届くのです。
助けて下さい! とお願いすれば、神社の本殿に手を合わせているのと同じですから、ご祭神が眷属をすぐに送ってくれます。
シチュエーションによっては、1体だけでなく、何体かの眷属が助けに来ます。
窓口となっている神社のご祭神は、普段、神棚のお世話をせっせとしていることを知っています。
時々、見まわりも来ているでしょうから、その神社に対する信仰心も、よーくわかっています。
なので、誠意を持って助けてくれます。
神社直通の窓口を持つということは、こういうことなのです。
何かよくないものがついてきた? という時も、神棚の塩で祓ったりもできますから、
神棚を持たないことに比べたら、神社に直通のパイプを持っている意味は大きいです。
普通だったらおふだは、今言ったような窓口ですが、実際に眷属が来てくれれば、窓口ではなく、家に「小さな神社」を持つようなものです。
来てくれた眷属は、前述したように、家族を危険から守ったり、ちょっとした願い事をあれこれ叶えてくれたり、生活をよくしてくれます。
24時間、しっかりと守ってもらえるのです。
緊急事態が発生すると、神棚からすぐに助けてくれますし、
回避できる危機だったら、先に察知して、避けてくれます。
その家の家族だけを手厚く守ってくれるのです。
本当にありがたいことです。
神社によっては、眷属の数はそう多くはありません。
そこから貴重な1体を、1軒の家のためだけに派遣してくれるのですから、どれだけありがたいことなのかが、おわかりいただけると思います。
何度も言いますが、普通だったら、おふだは窓口です。
来てもらえるだけで「超」ラッキー、ありがたくて平伏してお礼を言ってしまうほどのことなのに、
「神様眷属のほうが力が強そうだから、できればそちらにお願いしたい」とか、
「一の眷属は無理でも、二の眷属とか、位が高い眷属にお願いしたい」という希望は、
ありえないくらい贅沢と言いますか、欲張りであることがご理解いただけると思います。
そして、ここが一番大切なのは……
眷属が来てくれた場合、家の神棚のお社……言い方を変えると、家の神棚の本殿にいるのですから、神棚に来てくれた方を「眷属」とは言いません。
「神様」とお呼びします。
「家の神様」です。
ですから、神棚に手を合わせた時は、必ず「神様」とお声をおかけします。
ここは本当に、大切で重要なポイントです。