先日、とあるお寺に参拝しました。
そこは本堂とは別に「大師堂」がありました。
行ったのは朝の早い時間でしたが、大師堂の扉はすでに開けられていて、空海さんの仏像がしっかりと見えていました。
手を合わせようとした時に、20歳前後の若い女の子が、ひとりでやってきました。
神社仏閣に慣れていないのか、少しオドオドした感じです。
私のようなおばちゃんがそばにいたら、お願いがしにくいだろうと思い、その場を離れることにしました。
そ~っと離れようとした時に、女の子はスマホで空海さんの仏像を写真に撮っていました。
すると、そこに……
お掃除をしていたのか、お堂の陰にいたお坊さんがスッと出てきて、女の子にこう言いました。
「写真はダメでしょう!」
女の子は「え?」という顔でお坊さんを見ています。
そこには「撮影禁止」とは、ひとことも書かれていないからです。
ルール違反をしたわけではありません。
でも、女の子はすぐに謝りました。
「すみません、撮影禁止と書かれていなかったので……」
「そういうことじゃないでしょう」
強めにこう言われた女の子は、叱られたような雰囲気になり、泣きそうな顔になりました。
「撮影禁止と書かれていなかったから……写真を撮ってもいいのかと思いました……。すみません」
あきれたような、ちょっとバカにしたような口調で、お坊さんはこう続けました。
「僕は、写真はダメだと思うけどなぁ!」
女の子は「すみません」ともう一度謝り、逃げるようにしてその場を去りました。
ああ、あの子はもう二度と、このお寺には来ないだろうな、と思いました。
もしかしたら、二度と、「お寺」には行かないかもしれません。
仏様のお手伝いをするお坊さんなのに、どうして「信仰の芽」を摘むようなことをするのか……
と腹が立ちました。
私の中でお坊さんといえば、空海さんであり、最澄さんであり、円仁さんや、元三大師さんです。
どのお方も、仏様のご加護がたくさんもらえるように、と、人々を導いています。
なんだかちょっと残念で、失望もしたので、私もそのままお寺をあとにしました。
女の子は、信仰に目覚めたばかりだったのかもしれません。
空海さんのお顔を写真に収めておいて、「時々、見よう」「つらい時や悲しい時などにも見たい」と思うのは、悪いことではないと思います。
撮影禁止と書かれていなかったので、お寺の方針としては、「写真を撮ってもいいですよ~」だったのでしょうが、
注意をしたお坊さんの、個人的な考えは「写真はダメ」だったのだと思います。
それで、「〝僕は〟写真はダメだと思うけどなぁ!」と言ったように思います。
たったひとりでも、注意をするお坊さんがいるのなら、「撮影禁止」と書いてあげればいいのに〜、と思いました。
そうすれば、女の子も写真を撮ったりしないでしょうから、信仰を傷つけられることもなかったはずです。
女の子は仏様を慕って来た人です。
「写真に撮られるより、目に焼きつけてもらうほうが、仏様は嬉しいんだよ」とでも言えば、
言っているその人が仏様のお手伝いをするお坊さんですから、女の子も「そうなのか〜」と納得したように思います。
このように、神社仏閣で悲しい思いをしたことがあるという方、この先、もしかしたら悲しい思いをする方がいらっしゃるかもしれません。
冷たい態度を取る関係者は、神仏の代弁者ではありませんから、落ち込んだり、傷ついたりしなくてもいいのです。
神仏は、心根のよくない人を、使うことはありません。
ですから、そのような人を使って、「帰れ」という意思表示をしたり、「お前が嫌いである」とわからせようとしたりすることは、
〝絶対に〟ありません。
たまに、神社仏閣でこんな仕打ちをされました、というメッセージをもらいますが、それはその人個人がやっていることで、そこに神仏の意思は入っていないのです。
※続きます。