奄美大島に「西郷南洲流謫跡(るたくあと)」という場所があります。
この島に島流しとなった、西郷隆盛さんが住んでいた場所です。
私が行った日は休館日だったので、写真だけ撮ってきました。
これは門の向こう側です。(閉まっていた門の手前から撮影しました)
横の道から見ると、こんな感じの家でした。
西郷さんの家の近くに「西郷小浜公園」が建設中で、そこから海を見た光景です。
とてものどかで、素朴な感じの、昔からの雰囲気を残しているいいところです。
素敵な場所ですが、ここに送られた西郷さんは、けっこう落ち込んだかもな~、と思いました。
西郷隆盛さんは、薩摩藩の下級武士でした。
当時、藩主だった島津斉彬公に抜擢されて、斉彬公の側近として、京都で活躍していました。
けれど、斉彬公が急逝するのです。
斉彬公が亡くなってから、安政の大獄が始まったという事情もあって、西郷さんは薩摩に戻り、そこから奄美大島に流されました。
この島流しは、罪人としてではありません。
幕府から追及されないように、という藩の配慮でした。
ですから、いずれは薩摩に帰れる、とわかっていても……
京の都からも、江戸からも、はるかに離れた島なのです。
薩摩でさえ、けっこう長い海の旅をしないとたどりつけません。
しかも、抜擢してくれた斉彬公はもうこの世にいないのです。
「俺は終わった……」と落ち込んだんじゃないかな~、と思いました。
しかも、西郷さんは奄美大島に流されたあと、ほどなく、今度はもっと遠い、沖永良部島に流されています。
沖永良部島へは、新たな藩主:久光公の怒りを買ったため、罪人として流されました。
そういうことをつらつら考えていくと……
よくこの状況から、新政府軍の代表として、幕府軍の代表:勝海舟と、江戸城の無血開城を決めるところまでいったなぁ、と思うわけです。
人生ってわからないな~、と思います。
島流しにされたら、その時点で、一生が終わるというか、出世とかできなさそうなのに、新政府軍の代表にまで登りつめることができるんだ、とある意味、感慨無量でした。
いい意味で、人生はわからない、ということです。
たまたま偶然でそうなった? 西郷さんはツイていた? と思うかもしれませんが、そうではありません。
そこを奄美大島の島の神様に聞いてみました。
※ここからが長いので次回に続きます。