熊野本宮大社の神様に聞いたお話です。
最近、全国の神社で、気持ちのよい参拝をする人が増えているそうです。
以前は、2礼2拍手1礼を、こうすると決まっているからする、しておけばいいんだよね、みたいな感じで、多くの人が儀礼的にしていました。
願掛けも、「合格しますように」「いい出会いがありますように」と、これも〝悪気なく〟簡単に言うだけでした。
そして、さっさと帰る、のが普通でした。
けれど今は、ご挨拶からして、形式的に、適当にすませず、心を込めて柏手を打ったり、丁寧に祝詞を唱えたり、「祓えたまえ、清めたまえ」だけでも言う人が増えています。
願掛けの仕方も以前とは違って、理解してもらいやすいように、詳しく事情を話す人が増えてきました。
たとえば、合格祈願だったら、どこの学校に入りたいのか、どうしてその学校を選んだのか、そこを卒業すればどのように人生が変わっていくのか、入試のためにどれだけ努力をしてきたか、など、しっかりと話をしているのですね。
願掛けだけでなく、私のように、いろんな話をしていく人も増えているそうです。
といっても、スラスラと立て板に水というように話せない人のほうが圧倒的に多く、そのような人は、心をくだいて、一生懸命に、たどたどしく話をしているそうです。
神様はそれをとても微笑ましく思っている、とのことです。
この話をしている時の神様は、極上の笑顔でニコニコしていて、とっても優しくまろやかな雰囲気でした。
そのような人が増えたことが嬉しいようです。
話を聞いている私にも、うまく話せないけど頑張っているその光景が見えて、「なんて可愛らしいんだろう。好感が持てるな~」と思いました。
まだ神様が見えない、まだ神様の声が聞こえない……
つまり、神様が存在するかどうか、自分の目や耳で確認ができないという状態でも、
存在を疑わずに、一生懸命に話をしている人は、心が清く澄んでいる、信仰心のあつい人です。
私はそういう点では疑い深いので……
もしも祖父母の孫に生まれていなければ、信仰心は育っていなかったかもしれません。
神様が見えなくても、声が聞こえなくても、存在を疑わずに信じて参拝に行く、
そこで一生懸命に話をする、失礼のないように心がける……
このような純真な信仰心を持った人を、神様は本当に、私たちが想像する以上に、大切に思っています。
参拝に来ることを歓迎しています。
最近、そのような人が増えてきたことを多くの神様が喜んでいる、という貴重なお話を聞き、
ああ、これはきっと、読者の皆様のことを言っているのだな、と思ったのでお伝えしておきます。