神棚のお話の続きを書く前に、私の事情を説明しておきますね。
えっと……どこから言えばいいのか悩みますが……
私は、その時、その時で、できることを精一杯やっているつもりです。
「書かなければいけない!」と気づいたことがあったら、その時は、誠意を持って書いているつもりなのです。(自分ではそう思っています)
読者の皆様からすれば、「お鏡を使いまわしてはいけないのなら、なぜ最初に教えてくれないの?」と思うかもしれません。
その気持ちはわかります。
すでに使いまわしてしまった、という方が、「最初に全部を教えると何か不都合でもあるの?」「あと出しにするのは意地悪だと思います」とご立腹するのもわかります。
伝え方が至らなくて、本当に申し訳ございません。
けれど、最初に細かく説明をせず、「あと出し」で、ちょこちょこ情報を出していこう、などと考えたことは1回も……本当に、ただの1回もありません。
皆様にご理解いただきたいのは、私には「思いもよらないパターン」「まったく思いつかないパターン」があるということです。
一例をあげますと、
おふだよりもお鏡を置いたほうがいいですよ、というのはずいぶん前にお伝えしました。
こちらのほうが神様や眷属が宿りやすいことも書きました。
書いたことで、〝私の中では〟ですが、読まれた方は「理解してくれた」「私と同じ意識になっている」と思ってしまうのです。
お鏡を使いまわすことは、私の中ではありえないので、「そこを書かなければいけない」ということにまで、意識がまわりません。
質問をされて、そこで初めて、「ああ、そうか、細かく説明しなきゃいけなかったんだ」と気づきます。
「神様や眷属が宿る」と書いた、それだけで、「使いまわしはありえない」ことまでわかるわけがない、とそこでハッとなるのです。
そこで今回は、理解していただきやすいように、「ご神体」という言葉を使いました。
使いまわしのことに関して、もうちょっと詳しく言いますと、
「ご神体」として使用していたものを、次に来てもらう神様にも「ご神体」として使ってもらえるのか、という質問は「ああ、なるほど」と思います。
けれど、「飾りもの」として、扉の外に置いていたお鏡、これをお社の中に入れて「ご神体」にしてもいいのか……
という質問は、想像もつかないシチュエーションです。
というのは、私はお鏡を「飾りもの」として、扉の外に置くことがないからです。
なので、このようなパターンも質問をされるまでまったく気づきません。
ちなみにこの場合は、宿ってくれないこともない、です。
けれど、「飾りもののお古」を「ご神体」として用意しておくわけで、やや失礼ですし、宿ってくれる可能性は低いです。
でも、〝ゼロ〟ではありません。
ゼロではないので、こうしてもいいと言えばいいのですが、私だったら新しいものを用意します。
話を戻しまして……
私がごく普通だと考えていることが、実は「普通ではない」というのはわかります。
けれど、そこに〝気づく〟のは、非常に難しいのです。
たとえば……
「神棚には生米よりもご飯を炊いてお供えしたほうがいいですよ」と書いたら、どなたも普通の「ご飯」をお供えするだろう、と思います。
なので、「ご飯はお水で炊かなければいけません」とは、わざわざ書かないです。
外国の方から質問が来て、「スープで炊いてもいいですか?」と聞かれて初めて「ああ、そうか、水で炊かないといけない、と書かなければいけなかったんだ」と気づくわけです。
これと同じです。
以前に書いた、祝詞はタイトルから唱える、というのも同じです。
質問をされるまで、まったく気づきませんでした。
さて、ここで、もうひとつ、お断りしなければいけないことがあります。
質問に関してです。
私のもとには、多くの質問が届きます。
せっかく送っていただいた質問をうっかり流してしまわないように、すべて、ちゃんとコピーして、一覧ファイルに貼っているのですが……それが膨大な数になっています。
全部の質問にお答えするのは不可能で、こちらも本当に申し訳なく思います。
最近、友人の家の神棚を見たり、その友人や叔母が神棚を一新したりして、気づいたことがいくつかあるので、それを書かねば! と思っております。
けれど、立て続けに神棚のことを書くと、今度は、神棚を持っていない方から、「最近のブログは面白くないです」という意見が届きます。
神棚を持たない方にとっては、たしかにそうだろうなぁ、と思ったりもするわけです。
けれど、神棚に関しては、伝えなければいけないことがあるので、神棚を持たない方には大変申し訳ないのですが、少し続けて書こうと思います。
最後に……
情報をあと出しにしているわけではないのですが、そのように感じた方には、不快な思いをさせてしまいました。
誠に申し訳ございません。
重ねてお詫び申し上げます。