本の取材で行ったので、詳細は書けませんが、昨日何ヶ所かで「御朱印」をもらってみました。
私が書いたものに詳しい方はご存知だと思うのですが、私は普段、御朱印を集めておりません。
たまに……いや、非常にまれ~~~~~~~~~~に、ですが、
御朱印にも縁起物があって、偶然それを見つけたら、1枚だけ買うことはあります。
けれど、参拝したら必ずもらう、ということはしておりません。
で、昨日、取材の一環として、初めて何ヶ所かで御朱印をもらうことをやってみたのですが……
私には合わない、ということがよくわかりました。
えっと、ここから書くことは、私、個人のお話です。
決して、御朱印を否定するものではありませんので、誤解のないようお願いいたします。
で、昨日の話です。
何ヶ所かを順番に参拝するにあたって、御朱印をもらうことにし、張り切って1社目から行きました。
御朱印をもらうことに慣れていないどころか、初めてと言ってもいいくらいの私は、神社仏閣に着いたら、まず、御朱印をもらえるところを探しました。
普段だったら、境内に入ったところから神社仏閣の雰囲気とか、神様や仏様の「気」を感じます。
けれど、そういうことを全部すっ飛ばして、「御朱印をもらえるところはどこ?」「えっと? どこ? どこ?」と探すわけです。
御朱印をもらう場所を見つけ、そこに誰も並んでいなければ、「先にもらっておこう」と、参拝をあとにしたりもするわけですね。
「今なら並ばずにすむからラッキー♪」ということで……。
「違うやろ、ご挨拶が先やん」と反省するのですが、慣れていないせいか、次でもうっかり先にもらったりします。
「もらう」ことに必死になるわけです。
それで、ですね、御朱印をもらって、ドライヤーで乾かせるところではせっせと乾かし、そこまですると、「ふぅ~」とひと仕事終えたような気持ちになります。
とりあえず、やらなきゃいけないことは終わったわ~、みたいな……。
「いや! 違うやん! 神様や仏様に聞くことはいっぱいあるのに、まだ何も聞いてへんやん!」と、自分にツッコミを入れますが、
すでにミッションコンプリート! という満足感に包まれているのです。(あくまでも私の場合です~)
気持ちが任務完了! みたいになっているので、そこから神仏の話を聞くことがうまくいきません。
そもそも、神仏と交信をするには、意識の半分を「神仏」に、残りの半分を「自分」に置かなければなりません。
それを、「神仏」「自分」「御朱印」に意識を置いているので、コンタクトがうまくいかなかったりするのです。
波動などもうまく感じられず、「あれ? ここ、神仏いる?」となったりしますし、お話もうまく聞けなかったりします。
ひゃ~! これは! やばいのでは! 取材にならない! と、途中で、御朱印をいただくのはやめました。
参拝がおろそかになっては意味がありません。
その後に行ったところでは、大げさではなく、30人くらい並んでいました。
土曜日で参拝者が多かったからかもしれません。
ひとり1分かかるとしても、30分待たなければいけないわけで、もしも御朱印をもらっていたら、そのぶん神仏との会話が減っていたと思います。
ちなみに、御朱印をもらう順番を待つ間に神仏にお話を聞くことはありえません。
お正月などで混んでいて、「参拝」の順番を待つ間にお話をするのは問題ないのですが、
御朱印をもらう順番を待つ間に、神仏に話しかけるのは失礼なのです。
というのは、目的は御朱印をもらうことですから、その片手間に話す……暇つぶしに話す、みたいな感じになるからです。
というわけで、〝私〟の場合、御朱印をもらうようにすると、そちらに意識が集中してしまい、うまくコンタクトができなかったり、順番待ちで時間を取られることもあるので、そのぶん会話が減ったりします。
今回、体験してみて、合わないことがよくわかったので、これまでどおり御朱印を集めることはこの先もありません。
でも、縁起物の御朱印もありますから、どこかで見つけたら、その時は皆様にちゃんとご報告します。