前回の記事をアップしてから、以下のようなメッセージが多く届きました。
「みそぎのおおはらい」の箇所は飛ばしていました。神様に失礼だったのでしょうか?
祝詞が神様に届いていなかったということですか?
五芒星めぐりでタイトルを言わなかったので、五芒星めぐりは失敗でしょうか?
先に五芒星めぐりのお話をしますと……
大丈夫です、失敗はしていません。
頂点の神社で唱える祝詞は、全部でなくても問題ないのです。
ですから、祝詞の一部である……
たとえば「祓えたまえ清めたまえ」だけでもいいのですから、タイトルを言わないものでも効果はあります。
今まで、タイトルなしで唱えていた祝詞は、神様に失礼だったのでは?
と、不安に思っている内容のメッセージがたくさん届き、信仰心のピュアな読者さんが多いことを、あらためて認識しました。
こちらも、大丈夫です。
知らなかったのですから、失礼を働いたわけではありません。
次から、正しく唱えればいいだけです。
お供えの仕方とか、参拝の仕方などでも、もしかしたら、知らずに違うやり方をしていることがあるかもしれません。
けれど、知らないことは悪いことではないので、神仏も眷属も気にしません。
その「知らない人」が、ある日、正しいやり方に変えた……となると、
それは知らなかったことをひとつ学習した、というわけで、とっても素晴らしいことなのです。
ひとつずつ、神仏世界の知識を増やしていって、いつの日か、すべてをサラッと正しい手順でできるようになったら、
「おぉ~、ここまでできるようになったか」と、神仏も眷属もニコニコしてくれます。
私たちを指導し、支えている守護霊も、ニコニコの笑顔になります。
ですから、最初は間違えることがあっても、わからずに失敗することがあってもいいのです。
そのぶん、将来、「ここまでよく頑張った」と、神仏にたくさん褒められますし、守護霊も「ここまで指導できてよかった」と、喜んでくれます。
見えない世界で守ってくれているすべての存在を、極上の笑顔にできるのですから、失敗や知らなかったことをマイナスに受け取る必要はありません。
※家の中の、火がある場所と、水がある場所に鏡餅をお供えするやり方は、『ごりやく歳時記』に詳しく書いています。
トイレに置いた鏡餅やお酒をどうするのか、なども書いていますので、よかったら参考にして下さい。