「見えない世界について考える」とは、どのようなことをいうのか?
何をどう考えればいいのか?
ちょっと例をあげてみます。
たとえば、直属の上司Aさんが、ものすごーーーくいい人だったとします。
部下に優しいので、部下全員から慕われています。
もちろん、仕事もバリバリこなす、できる人です。
でも、課長からなかなか昇進しません。
そんなある日、Aさんより5期下のBさんが部長に昇格しました。
Bさんは隣の課の課長です。
出世レースで後輩に追い越されたのに、Aさんはいつもと変わらず平常心でニコニコしています。
無理をしているようには見えず、本当に何も気にしていないみたいです。
どうして平気でいられるのだろう? と考えます。
もしかしたら、カルマだと思っている?
それとも、霊格を磨くために、苦労する時期を設定して生まれてきたとか?
Aさんは信仰心が厚いと聞いたことがある、神仏を心から信頼していたら悩まないのかも?
など、あれこれと思いをめぐらせます。
そこから考えは発展していき……
カルマってなんだろう?
生まれる前の計画って自分でわかるのかな?
信仰心がピュアだと、何が起こっても、あのようにニコニコできるのかな?
と、見えない世界について、いろいろと考察します。
この「見えない世界」について、「考える」ことが修行になります。
比べてみるとよくわかるので、視点を変えてみますね。
隣の課の課長であるBさんが昇進しました。
上司である課長のAさんは、長年同じポジションです。
AさんはBさんの5期先輩ですから、普通だったら、悔しがったり落ち込んだりするはずです。
でも、Aさんは平常心で、いつもと変わりません。
部下のXさんは、「Aさんは出世欲が薄いんだろう」と、思っただけで感想は終わりです。
その先は何も考えません。
けれど、部下のYさんは、
「Aさんは偉いな~。人間ができているんだろうな。私だったらニコニコするのは無理だな。もしかしたらカルマがあって、Aさんはそれをわかっているのかも? いや、生まれる前の計画かもしれない。それをちゃんと感じているのかな? それとも、信仰心のおかげかな? 神仏を信頼していたら心が広くなるのかもしれない」
と、「見えない世界」をあれこれ考えます。
XさんとYさんでは、見えない世界に対する関心のレベル、探究心、理解度、なじみ度がまったく違う、ということが、おわかりになるのではないでしょうか。(Xさんはゼロなので)
Yさんは以前から、時々、見えない世界についてこのように考えているので、ここまでレベルが上がっているわけです。
考えるにあたって、注意すべきことがあります。
それは、「物事すべてに〝必ず〟意味があるわけではない」という真理です。
道で転んでしまったら、「この意味は何? どうして転んだのだろう? 神仏は何を伝えているの?」と結びつけてしまうかもしれませんが、「単純に転んだだけ」ということもあります。
伊勢神宮に行こうと計画を立てても、仕事が入ったり体調が悪くなったりして、キャンセルが続いたとしたら、
「伊勢神宮は行かないほうがいいの? 合わないの? いや、もしかしたら拒否されてる? この意味は何?」というふうに考えてしまうかもしれませんが、
「単純に仕事や体調不良が重なっただけ」ということもあるのです。
起こった出来事に〝必ず〟意味があるわけではないのは、知っておいたほうがいいと思います。
先ほどの例で言えば、「どうしてAさんは昇進できなかったのだろう? その意味は何?」と、考えるのは違うのですね。
そうではなく、見えない世界の〝仕組み〟と言いますか、〝構造〟〝作用〟〝真理〟などに思いをめぐらせます。
答えを出す必要はなく……というか、人間である私たちに、答えがわからないのは当然なので、そこは気にしなくてもオーケーです。
答えにたどりつくことは重要ではありません。
「考える」ことが大切なのです。
「人生とはなんだろう?」
「神仏が人間を慈しむ気持ちってどんな感じなのかな?」
「ペットの使命って尊いな~」
など、見えない世界を思案することは、小さいけれど立派な修行になりますから、たまに考えてみることをおすすめします。