時々、ふと、空海さんが言った言葉を思い出します。
「人間が頭で考えることと、仏の世界、見えない世界は、違っている場合が多い」
「ワシにも考えていたことと違うことがあった」
あの空海さんですら、考えていたことが、見えない世界の真理と違っていたのです。
当時は仏様ではなく、地上にいる「人間」でしたから、当然と言えば当然なのかもしれません。
たくさんの難しい勉強をし、厳しい修行もして、はるばる唐まで行って学んできた、あの高僧だった空海さんですら、そうなのです。
ということは、人間には、見えない世界のすべてがわかることは無理なのかもしれない、と思います。
空海さんは見えない世界について、それはもう、たくさんのことを考えたそうです。
この「見えない世界について考える」ことは、修行のひとつです。
空海さんだけでなく、最澄さんも、円仁さんや元三大師、鑑真さんなどほかの高僧の方々も、見えない世界についていろんなことを考えたそうです。
高僧の方々は、勉強も修行も徹底的にしていますから、考える内容も難しくて奥深く、レベルの高いものです。
なので、考えることが「大きな」修行になります。
私たち一般人は、そこまでハイレベルな考察はできません。
ですから、「考える」ことは「大きな」修行にはなりません。(高僧と同じ段階にいる人は同レベルの修行になります)
大きな修行にはなりませんが、「小さな」修行にはなります。
小さくても、ちゃんと霊格を上げる、霊能力をアップさせる修行になるのです。
※ここから具体的に書くので長くなります。続きます。