「人間はなぜ生まれてくるのだろう?」

 

ということを、スピリチュアルに興味を持ち始めた頃に真剣に考えたことがあります。


片っぱしから読んだ書物には、ほぼすべてに、「人生は修行の場である」と書かれていました。

 

修行の場であるから、つらい試練があるのは当然である、と。


その時は、「なるほど。そうなんだ~」と思いましたが、あちこちで多くの神仏にたくさん話を聞いて、自分なりに勉強をし、やっと生まれてくる理由がわかりました。


この件に関しては、人によって考えが違うと思います。

 

ですから、ここからは私の個人的見解として、「ふーん」程度にお読みいただければと思います。ニコニコ


最初に違和感を覚えたのは、唯一無二の「絶対神」が「愛そのもの」であるとわかった時です。


人間が転生するという、神秘的な出来事に関係しているのは絶対神です。


試練を経験するために生まれる、

 

修行のために生まれる、

 

となると、つらい思いをすることが大前提で生まれてくるわけです。


絶対神は、人間にも、動物にも、植物にも、同じように愛情をそそいでいます。

 

すべてのものを、深くあたたかく、包みこむような愛情で見守っています。


その絶対神が、「さあ、地上に行って、つらい思いをしてきなさい」

 

「試練という苦難を味わって、苦労して、戻ってきなさい」と、

 

人間だけに厳しいことを言うのだろうか? と疑問に思いました。


私が学んだ結果から言うと、人間が生まれる目的は「たくさんの感動をして、魂を震わせる」です。


自分自身が感動をしたり、いい話・心あたたまる話を聞いて感涙したりすると、魂がその感動で震えます。


魂が震える感覚は、心が洗われる感じ、浄化されるような感じ、です。

 

スッキリ爽やかで、晴れやかな心になります。


嬉しいことがあって喜ぶ、感謝せずにはいられないことがあってそっと合掌する、人のあたたかみにふれて涙する、など、

 

心がいい方へ動くことは、すべて感動です。


「なんて愛おしいんだろう♪」とペットに愛情を持つのも、

 

一生懸命に勉強をして試験に受かり「やったぁ!」と歓声をあげるのも、すべてそうです。


美しい風景や花を見て「ああ、キレイだな~」と思ったり、

 

木陰で涼しい風に吹かれて「心地いいな~」と思うのも感動の一種です。


この地上でしか体験出来ないこと、それを、心や肌で感じる……

 

この感動をたくさん経験して、それをあちらの世界に持ち帰る、

 

これこそが生まれてくる目的なのです。


この世に生を受けるのは、

 

「地上で素敵な感動をいっぱい経験して、魂を豊かにして、戻ってきなさい」

 

という、絶対神からのプレゼントです。

 

苦しい試練をがむしゃらに乗り越えるために、修行でつらい思いをするために、生まれてくるのではありません。

 

生まれる目的に気づいてから、私は心の持ち方を変えました。

 

美しいものを見たら、「美しいな~」とちゃんと認識し、

 

いい話を聞いたり、読んだりしたら、「なんていい話なんだろう」と、ちゃんと意識するようにしています。

 

山や草原、海に行ったら、自然を肌で感じるようにし、

 

神社仏閣に行ったら、神様仏様に会えるありがたみをかみしめています。

 

たとえばですが、巨峰を食べる時も「今日も美味しい巨峰が食べられて幸せ~。ああ、美味しい♪」というふうに、小さなことでも喜んだり、楽しんだりしています。 

 

せっかく絶対神にいただいた「この世に生まれる」というプレゼントですから、感動でいっぱいのキラキラした人生にして、あちらの世界に帰りたいと思っています。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

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