祖母が亡くなったのは、私が中学生になって、何日もたっていない4月のことでした。
その頃の私は、まだ神仏が見えなかったし、声も聞こえませんでした。
身近な人が亡くなることが初めてだったので、祖母の死はまったく実感がなく、夢の中のことのように感じていました。
お通夜はなんとなく時間が過ぎていき、夜は別室で寝るように言われました。
翌日のお葬式も現実感がなく、ふわふわした感覚のまま、ただ参列しているだけでした。
お葬式は着々と進み、「最後のお別れ」となりました。
棺にフタをする前に、みんなが遺体のまわりにお花を入れたり、祖母に持たせたいものを入れたりしました。
その時です。
祖父が号泣したのです。
子どものように、本気で、大声を上げて、おんおん泣いていました。
祖母への深い愛情と、祖母を失った大きな悲しみが伝わってきました。
「じいちゃんが泣いている……」と、私はそのことに驚きました。
その後、祖母の棺は火葬場に運ばれ、
荼毘(だび)に付されるのを待つ間の食事が、お寺で始まりました。
近所の人がたくさん来ていたので、母も叔母たちも忙しく動き回っていました。
そこで……なぜか急に、いきなり涙がポロポロ、ポロポロ、こぼれたのです。
祖母が亡くなったことは、その時もまだ夢のように感じていたので、私に悲しみの実感はありません。
それなのに、涙がハラハラと、次から次へと落ちていきます。
うつむいていると、ポタポタとすごい勢いで目から出てくるのです。
不思議なことに、その時の私の中にあったのは、祖父へのあたたかい、包み込むような愛と、祖父に申し訳ないという気持ちでした。
それは祖母の感情であり、祖父に伝えてほしい! という気持ちだったのです。
祖父を愛していること、
先に逝くことになって、ごめんね、
という気持ちだったのです。
「体がもたなかった、ごめんね」
「そして、今までありがとう」
その感情がぶわーっとあふれていました。
今なら理解できますが、当時の私は中学1 年生、その前月は小学生だったのです。
そのような夫婦の、心の機微がわかるはずもなく、
「?」と戸惑いながらも、でも、涙はあとからあとから頬を伝います。
私の異変に気づいた叔母が、母をつつくのが見えました。
母は急いで私のもとにやってきて、先に帰りなさい、と祖父宅の鍵をくれました。
言われたとおりに、お寺からひとりで帰ることにしました。
泣きながら大きな本堂から出て、境内を歩き、門を一歩出たら……
あれだけ濃い感情がグルグルしていたのに、一瞬で、すっきりスカーッとすべてが消滅しました。
お寺を出たところで、祖母は私に伝言を頼むことをあきらめたのだと思います。
たぶん、最初は4人いる娘(母を含む4姉妹)に気持ちを伝えてもらえるよう、働きかけたはずです。
けれど、誰も気づかなかったので、「く~、まだ子どもだけど、識子しかおらんわ」となったように思います。
しかし、私はまだ子どもです。
自分が感じている気持ちが祖母から祖父へのものだと理解し、それを伝言する、なんて難易度が高すぎます。
「うわぁ、識子にはやっぱり無理だったか~」と、祖母は私が境内を出たところで、あわてて祖父のところに戻ったのでしょう。
今、思うと、なんだか微笑ましいです。
亡くなるほうは先に逝くことを、申し訳なく思っています。
なので、近しい人が亡くなったら、ひとこと、「大丈夫だからね。先のことは心配しなくていいよ」と言ってあげるといいです。
そのひとことで、故人は安心して成仏することができますし、
「ごめんね」と、申し訳なく思う気持ちを持たずにすみます。