※前回の続きです。
良心に引っかかる、という状態は、けっこう暗い気持ちになるものです。
前々回の例だと、心ゆくまで謝罪をしたいのに、Aちゃんはまったく気にしていない。
しつこく謝ると嫌がられそうだし、不愉快にさせてしまいそうだから、言えない。
というか、Aちゃんとは数年に一度の同窓会でしか会えない。
もう忘れてもいいのだろうな、とは思うけれど、小学生だったAちゃんの悲しそうな顔がたまに浮かぶ。
意地悪なことを言ってしまった自分が情けない……。
と、つらい思いをしている、自分を責めてしまう、という方がおられると思います。
このような場合、良心を、魂を納得させる方法があります。
Aちゃん本人に、もう「ごめんなさい」を渡せないのなら、代わりに「天」に渡せばいいのです。
「天」に「ごめんなさい」を積みます。
「天」は、どのような場合でも、相手の代わりになってくれます。
たとえば、旅行先で人に親切にしてもらった。
でも、その人はちょっと目を離したすきに、名乗らずに去ってしまった。
「ありがとう」を言えなかったし、お礼をしたくてもできない……。
という時も、「ありがとう」は「天」に積めばいいのです。
それで、ちゃんとお礼をしたことになるので、魂が「お礼を言っていない」と、悩むことはありません。
では、「天」に「ごめんなさい」やお礼を積むことにしよう、と決めた場合、何をどうすればいいのでしょうか?
答えは簡単です。
「よい行ない(善行)」を心がければいいのです。
もちろん、自分ができる範囲で十分です。
家族や友人知人、同僚など、人にいつもより優しくする(毎日でなくても、月に1回でも、3ヶ月に1回でもOKです)、
買い物に行ったお店で店員さんに「ありがとう」とニッコリしてみる、
道を尋ねてきた人に、丁寧に、にこやかに教える、
石段を降りている時に、ゼーゼー言いながら登ってきた人がいたら「頑張ってね」と声をかけてみる、
このような、人に癒やしを与えることは、れっきとした善行です。
重たそうな荷物を持った高齢者がつらそうに階段を上がっていたら、階段の部分だけでも荷物を持ってあげる、
具合が悪そうな人がいたら、「大丈夫ですか?」と声をかけてみる、
電車で席を譲るなど、
照れくさくてなかなかできない、他人への親切は大きな善行です。
コンビニのレジで小銭を寄付をするのもそうですし、
自然災害が起きた被災地に、100円でも、たとえ10円でも、自分ができる範囲で寄付をすることも善行です。
ふらっと訪れたお寺で写経ができれば、そこで被災地の人のために写経をしてあげるのもいいと思います。
同僚や近所の人などに、ニコッと笑顔を見せる、これだけでも小さな善行です。
小さなことでもコツコツと重ねれば、あっという間におつりがくるくらい、天に貯まります。
頑張って「ごめんなさい」を積もう! 善行をしよう! とすると、疲れてしまうので、自分のペースでやるのがコツです。
半年に1回でも、年に1回でも、ゆっくり、のんびりでいいのです。
良心の質が高くなっていくと、引っかかる過去がいくつも浮かんでくるかもしれません。
ですが、過去は過去です。
今から謝罪が間に合うのであれば、謝罪をするのもいいと思います。
謝罪ができない場合は、天に謝罪(善行)をいっぱい積む、この方法でまったく問題ありません。
過去にしてしまった心に引っかかることは、
天に「ごめんなさい」を積むことで、自分が救われます。
聖徳太子さんも、役行者さんも、真如海上人さんも、ファンになる人がいっぱいいるだろうな〜、と思います。
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