※前回の続きです。
説明が足りなかったようで、申し訳ございません~。
補足をしますね。
「わかる」という「感覚」についてです。
たとえ話で、スーパーでの床の足のマークや、ドリンクバーのストローを書きました。
蝶々を見て、何も考えずに「嬉しい」となることも書きました。
どちらも「感覚」の説明です。
床の足のマークやストローは、経験から理解している、
つまり、「わかる」能力でわかっているのではなく、「経験があって→それでわかる」。
けれど、蝶々を見て、何も考えずに「嬉しい」のは、直感(スピリチュアル的には直感ではありませんが、便宜的に使っています)なので、
この2つは違うのでは? と思う方がおられるかもしれませんが……同じです。
蝶々も、「歓迎のサインと聞いて・知って→それで『嬉しい』となる」わけですから、理屈は同じかな、と思います。
あ、いや、違うんです。
補足したいのはそこではなくて、「感覚」です。
「わかる」パターンには、2通りあります。
あれがああだから、これがこうなのね、と頭で考えてわかるパターンと、
「!」と一瞬でわかるパターンです。
街なかで母親にバッタリ会ったら、見た瞬間に「お母さんだ!」とわかると思います。
これも「!」と、一瞬でわかるパターンです。
毎日見ている顔だからとか、肉親だからという〝理由〟はここでは関係ありません。
「!」と、一瞬でわかるパターンだということを、ご理解いただきたいのです。
というのは、
神社仏閣で、「わかる」能力で「わかったこと」は……と話を進めていく時に、
何も説明しなかったら、え? 「わかる」能力でわかるってどういうこと? と、
そこで「???」となる方がいらっしゃるのでは? と思いました。
書き方を変えて、「!」と一瞬でわかることです、と書いたとしても、
え? それってどういう感覚? とわかってもらえないかもしれない~、と思い、それでたとえ話を書きました。
「!」と一瞬でわかるというのは、こういう感じです、と、そこをお伝えしたかったのです。
経験からわかることと、直感でわかることは違う、と思う方は、とりあえず理由は横に置いておいて、
一瞬で「わかる」、
「!」とわかる、
その〝感覚〟を理解していただけたら……と思います。
蝶々を見て、「たしか歓迎のサインだったよね、ってことは、私は歓迎されているのね、ああ、嬉しい」と「考える」のは違います。
「わかる」感覚でわかっていません。
考えているからです。
蝶々を見たその一瞬で、「!」と、嬉しい感情になれば、「わかる」感覚でわかった、ということです。
それは、ドリンクバーで、「あれ? ストローがない。ストローはどこ?」とそのへんを探し、
何十本も置かれているものを見つけた時に「あ!」と一瞬でわかる、
「!」とわかる、この感覚と同じです。
「これを使っていいの? 何十本も置かれているからいいんだよね? ドリンクバーのストローだよね?」と考えることなく、
見たその瞬間に、もう手を伸ばしているのではないでしょうか。
その感覚と同じなのです。
いきなり、一瞬で、「わかった」状態になる、ということをお伝えしたかったのです。
今回のこの説明で、ご理解いただけましたでしょうか?
文章で感覚をお伝えするのは難しいですね。
あらためてそう思いました。
※次回に続きます。