神棚には、神様(眷属)が鎮座してくれている場合と、神社の窓口となっている場合の、2パターンがあります。
自分ちの神棚が、どちらのパターンなのかサッパリわからない、という方は「神様がおられる」と思って、お世話をしたほうがいいです。
どうせ窓口だろうから……と、思ってしまうと、実際に神様がいたら、
もしくは、窓口であっても、眷属が見まわりに来た時に、
気づかないまま失礼を働く可能性があります。
窓口は神社の神様からは丸見え(丸わかり)です。
窓口の向こうには神様がおられるわけですから、窓口は電話のようなもの、こちらからしか発信できないものではありません。
となると、どのようなお世話をすればいいのか……と、悩んでしまうかもしれませんが、難しく考えなくても大丈夫です。
〝できれば〟月に2回、1日と15日に、お塩とお酒、榊をお供えするだけで十分です。
毎朝、ご飯をお供えしたり、お水をお供えしたりする必要はありません。(もちろん、することはいいことです。毎朝お世話をすればそれだけ信仰心が厚いことが伝わります。)
神様は人間ではありませんから、のどは乾きませんし、おなかもすきません。
お供え物をすることは、「これでホッとひと息入れて下さいね」「お酒でも飲んで休憩なさって下さいね」という気持ちを表現したものです。
(新刊の「熱田神宮」のところに書きましたが、神様が思いっきりくつろぎモードになった時、本当にお酒をぐびぐび飲んでいました。)
つまり、お供え物は、信仰心を別の形で差し出しているのです。
「じゃあ、毎日しなきゃ!」と思うかもしれませんが、そうではなく、品物(お供え物)に代えない信仰心を差し出せば、同じです。
お供え物をせっせとしているが、神棚にまったく手を合わせないのと、
お供え物は1年に2~3回しかしないが、せっせと手を合わせて神様にお話をするのとでは、
断然、後者のほうが喜ばれます。
時期によっては榊がむちゃくちゃ高かったり、お供え物を買いに行くのがしんどいという時もあると思います。
そのような時は、しなくても問題ないのです。
手を合わせて、神様にお話をすればいいだけです。
祝詞を唱えて差し上げれば、真心が伝わりますから、もっといいです。
皆様のなかには、「窓口だったらガッカリ」と思う方がおられるかもしれませんが、窓口であれば、わざわざ神社に行かなくても、神社の〝ご祭神〟に直接声が届くわけです。
せっせと神棚に手を合わせてお話をすれば、全部聞いてもらえるので、神社のご祭神に、どれだけ信仰しているのかを知ってもらえます。
それはつまり、緊急時にSOSを神棚に発信すると、「お! 信仰心の厚いあの家からのSOSではないか!」と、
神様や眷属が飛んできてくれる、ということです。
出雲大社や伊勢神宮(ここは担当制ですから担当の神様が聞いてくれます)、熊野本宮、伏見稲荷、神田明神など、どの神社でもすべてそうです。
ですから、たとえ窓口でも、コツコツと信仰心を示しておくことが大事なのです。
そして、その「信仰心を示す」ことは、お供え物をすることでもわかってもらえますし、しょっちゅう手を合わせることでもわかってもらえます。
「きゃ~、忙しくて、神棚に3ヶ月ほど手を合わせるのを忘れてた!」
「しまった、お供え物を半年していない!」
という場合も、問題ないです。
神棚にいる神様(眷属)は、その家の家族には「特別に」優しいからです。(窓口であればさらに問題ありません)
神棚の神様は、少々のことで気分を悪くすることはありません。
「たまには手を合わせてほしいがの~」「酒を供えてもらえんかの~」とは思うことはあるかもしれませんが、
気づかずに放っておいたとしても、苦笑しつつ、しっかり守ってくれます。
神棚に来てくれた神様というのは、そこまで優しいのです。
過去記事ですが、叔母の家の神様のお話を貼っておきます。
なるほど、ここまで優しいのか〜、と、神棚の神様のことがおわかりいただけると思います。