信仰は人間の自由です。

 

どの神様、どの仏様を信仰しようと、どのような信仰の仕方をしようと、そこは自分の思うままで問題ありません。

 

これは、唯一絶対神が決めた、一種のルールのようなものですから、神様仏様はその自由を尊重してくれます。

 

たとえば……。

 

昨日まで稲荷神社に通っていたのに、願いが叶わないからと、稲荷神社の参拝をやめて、今日から八幡宮に行くことにした。

 

OKです。

 

八幡宮に通ってみたけれど、なんか違うわぁ、という感覚になる、だからまた、以前の稲荷神社に通うことにした。

 

OKです。

 

定期的に参拝していた神社、お寺だけど、参拝する気持ちがなくなった、もう行かない。

 

OKです。

 

行かなくなって久しいのに、困った事態になったから、助けてもらえるよう願掛けに行く。

 

OKです。

 

神様も仏様も、信仰は人間の自由、ということをちゃんと知っています。

 

ですから、信仰に関して何かを言うことは絶対にありません。

 

「でも、叱られそうで、心配なんです」と、思う方がいらっしゃるかもしれません。

 

私も、心の底から納得するまでに、かなりの時間を要しました。

 

あちこちの神仏に、何回も繰り返し同じような質問をして、確認をしました。

 

これはいいのでしょうか?

 

これは失礼ではないのですか?

 

こういうことをされても許せるのでしょうか?

 

いろんな方向からたくさんのことを、多くの神仏に聞いて、やっと理解ができたのです。

 

それくらい、最初は信じられませんでした。

 

ですから、皆様が「信仰で失礼があったら叱られるのでは?」と思う気持ちも、よくわかります。

 

神仏は、自分のことを信仰しなくなり、他の神仏に帰依しても、そこは本当になんとも思いません。

 

「そうか」と、ニコニコするだけです。

 

人間が、何をどのように考えるのか、その意思を大切にしてくれます。

 

話は変わって……

 

お寺には結縁灌頂(けちえんかんじょう)という、ありがたい儀式があります。

 

特定の仏様と、〝お寺(高僧)を通じて〟ご縁を結んでもらうものです。

 

Aというお寺と、Bというお寺で結縁灌頂を受けたい……。

 

どちらも今年だけど、同じ年に、別のお寺の結縁灌頂を受けてもいいのだろうか?

 

と、悩む方がおられるかもしれませんが、仏様からすると、問題ないです。ニコニコ

 

ただ、〝宗教〟として、仏教ではどう考えるのか、各宗派ではどう考えるのか、ということは、私にはわかりません。

 

なので、〝宗教的に大丈夫なのか〟〝宗派的に大丈夫なのか〟ということは、お坊さんにお聞きしたほうがいいです。

 

重ねて言いますが、仏様のほうからすれば、そこにはなんの問題もありません。

 

大好きな仏様、大好きな神様は、自分が思うやり方で、思いっきり信仰するのがベストだと、私はそう思っています。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

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