元三大師御廟を出て最澄さんを呼ぶと、ふたたび出てきてくれました。
生前のお姿で、私の横に並んで、にこやかに一緒に歩いてくれます。
歩くことも修行のひとつである、と、最澄さんは言います。
そこで、ふと気になったので、聞いてみました。
「あの? 最澄さんはすでに仏様ですが、修行をしていらっしゃるのですか?」
「している」
ニコニコと答えます。
そして、ここから真面目な顔で教えてくれました。
どうして仏様になっても修行をするのか、という理由です。
話はちょっと横にそれますが、私には不思議に思っていたことがありました。
薬師如来とか阿弥陀如来とか観音さんとか、お不動さん、多聞天さんもそうですが、仏様は仏教ができた時に、人間が考えて作っています。
人間が創造した仏様なのに、どうして実際に存在しているのだろう? ということが疑問でした。
それで高野山を訪れた時に、空海さんに質問してみたのです。
空海さんによると、如来とか菩薩とか、そういう仏様は〝もともといた超高級霊〟だそうです。
(詳細は、『聖地・高野山で教えてもらった もっと!神仏のご縁をもらうコツ』という本に書いています)
最澄さんが、そのことは知っているだろう? と聞きます。
「はい」
もともといる超高級霊は、神様と同じような存在です。
もちろん、もとが人間、ではありません。
神格・仏格が、非常に高いのです。
つまり、人間が死んだのちに修行を積み、仏様になっているお方とは、レベルが違う、というわけです。
もとは人間の仏様が、薬師如来とか阿弥陀如来とか観音さん、お不動さんに近づこうと思ったら、それはもう、ものすごーく修行をしなければいけないそうです。
並大抵の修行では無理だと言います。
それで、仏様になっても修行をずっとしているそうです。
「あの? でも、お釈迦様って、仏教では釈迦如来という、一番位が高い仏様になっていますが、薬師如来さんや阿弥陀如来さんとはレベルが違うのですか? そのレベルに届いていないのでしょうか?」
最澄さんはニコッと笑い、私をじーっと見ています。
「真実を教えてください」と、私もニコッとしてみました。
「真実か」
「はい」
最澄さんは微笑みながら、
「真実を言えば……届いていない」と言います。
そうだろうな~、とここは納得できました。
神様を例にして考えると、もとが人間ではない、もともといる山岳系神様は、神格がものすごく高いです。
巨大なパワーを持っていて、存在も大きく、エネルギーも強大です。
一般的な神様よりもレベルが上なのです。
もとが人間だった神様とは根本的に違い、そのレベルにまでいこうと思ったら……う~ん、いや、届くのは無理なのでは? と思います。
でも、できるだけ近いところまでいこう……という場合、それはもう、猛烈に厳しい修行を、長~い期間(何千年も)しなければなりません。
仏様も同じだそうです。
もともと見えない世界の存在としている、「如来」「菩薩」「明王」「天部」と肩を並べるのは、容易ではないのでしょう。
ですから、人間だった仏様は、せっせと努力をし続けているのです。
それはたとえて言えば、出世欲みたいな自分のためではなく、大きな力を持って、もっと多くの人間を救いたい、という奉仕の気持ちから、だそうです。
お釈迦さんは、最澄さんや空海さんよりも千年以上、修行を早く始めているので、まだ届いてはいないけれど、かなり上までいっているとのことです。
そのお釈迦さんの後ろに、最澄さんや空海さんなど、多くの人間だった仏様が続いているそうです。
※続きます。
楽天ブックスで買えないというメッセージが届きました。
誠に申し訳ございません。
たぶんですが、発売日以降に買えるのでは? と思います。
もう本当にすみません。
3月23日発売です。