去年の秋、比叡山に行った時の記録を、やっと! 整理したので、いろいろとお伝えしておきますね。
比叡山は大きく3つのブロック、東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)に分かれています。
この日は横川からまわりました。
駐車場から参道に入り、久しぶりにお会いできる嬉しさ全開で、最澄さんを呼ぶと、す~っと出てきてくれました。
「最澄さん! お久しぶりです!」
「おぉ、久しぶりだの~。元気にしていたか?」
「はい! 最澄さんのおそばで話ができるのは比叡山しかないので、数日前からワクワクしていました」
最澄さんはニッコニコの笑顔で頷いていました。
最澄さんとたくさんしゃべれる、すぐそばに来てもらえるのは、本当に比叡山だけです。
ですから、しっかりとお会いしたい、話をたくさんしたいという場合は、ここに来るしかありません。
「私はあれから、円仁さんと元三大師さんに、多くのお話を聞かせてもらいました」
元三大師さんがこう言って、ああ言って、それで私がこう言うと、このように笑って……と説明をすると、
最澄さんは、そこまで話をさせたことがすごい、みたいなことを言って、朗らかに笑います。
元三大師さんは生前、人付き合いが苦手だったそうです。
おしゃべりなタイプではなかったので、気軽にあれこれ話をするような人ではなかったらしく、私がいろいろと細かく聞き出したことに、いい意味で驚いていました。
ここで最澄さんとの会話を一旦中断して、横川の本堂である「横川中堂」に入りました。
このお堂はビックリするくらい静かです。
音がしない「静けさ」ではなく、世俗のいろんなものが消された静けさ、世俗のごちゃごちゃしたものを寄せつけない静けさです。
あちらの世界にある聖域に近いのです。
私がお堂に入った時、聖観音さんの前で勤行がされていました。
ありがたい読経を聞きつつ、聖観音さんをぼーっと見せてもらって癒やされ、毘沙門天さんとお不動さんにもご挨拶をしました。
で、横川中堂を出て、また最澄さんと一緒にテクテク歩きます。
「あ、そうだ、深大寺で元三大師さんは最澄さんのおかげで仏様になれたと言っていました」
「控えめだからの~」
元三大師さんは、本当に控えめなお方だそうです。
「元三大師さんは病(やまい)に強いのですね」
最澄さんによると、生前は病を憎んでいたそうです。
その理由は、流行(はやり)病で大切な人を亡くしたから、とのことです。
その当時から、そして今もずっと、人間から病を取り除いてやりたい、病から救ってやりたいと思っている、と言っていました。
生きている時から、そちら方面の修行をしていたらしいです。
円仁さんの話題では、「諸国を布教してまわっている」と教えてくれました。
「はい。つい、こないだですが、私も初めて知りました! ご本人にお聞きしました」(私が教えてもらった時の詳細は「ごほうび参拝」に書いています)
円仁さんは、この山は最澄さんの山なので、自分がここで何かをするのは違う、と考えているそうです。
それであちこちをまわって、地道に布教しているのですね。
「気づいていない人間が多いが」
「空海さんと同じですね」
最澄さんはニコニコと優しい笑顔で頷いていました。
※続きます。
3月23日発売です。