まずは、たとえ話の説明からです。
「神様、女優になりたいです! 大手所属事務所のオーディションを受けます。どうか、受かりますように!」
5人の女性が同じ願掛けをしました。
必死でお願いをしましたが、5人とも、オーディションには受かりませんでした。
①神様や眷属が多忙で手がまわらなかった ~Aさん~
お願いをしに行ったのは正月明けでした。
どの神社も参拝者が多い時期ですが、特に大きな神社、有名な神社だったら、その数は膨大です。
Aさんが参拝した神社は、神様や眷属が超多忙でどうしても手がまわりませんでした。
つまり、願掛けはボツにされたのではありません。
落とされたわけではないのです。
ですから、何回か、同じ願掛けをしに行けば、叶います。
②時期が今ではない ~Bさん~
Bさんの運勢は現在、下降気味です。
なので、今、女優になっても、売れないし、このまま埋もれてしまいます。
けれど、5年後だったら、運勢も絶好調で、時代とマッチして売れます。
所属事務所は3年間、あちらこちらで宣伝をして売り出す予定ですが、仕事がどんどん入ってくるのは5年後なのです。
3年が経過した時に、これだけ売り込んでも売れない……と、所属事務所はBさんの売り込みをやめ、違う女優に力を入れます。
せっかく時期が来た時には、仕事を取ってきてもらえません。
だったら、5年後に女優になるべきで、今ではないということです。
こちらも、何回か、同じ願掛けをしに参拝をしていれば、時期が来て、叶います。
③計画と違う人生になってしまう ~Cさん~
Cさんは、10年後に、動画や本で「簡単で美味しい家庭料理」を教える、そちらで有名人になる、という未来が待っています。
そのためには料理の腕を磨いたり、アイデアを蓄積する時間が必要です。
女優になってしまったら、人生計画が変わってしまいます。
よって、一般的な神社では叶えてもらえません。
どうしても女優になりたい場合は、山岳系神様のところへ行って、人生計画を変えてもらいます。
④叶うと不幸になってしまう ~Dさん~
オーディションに合格して女優になっても、有名にはなれず、鳴かず飛ばずの日々が続きます。
同じ所属事務所の先輩にイヤミを言われたりして、Dさんは精神的に参ってしまいます。
深く落ち込んで、性格まで変わります。
心の病気にかかってしまい、そこから回復するまで、何年もつらく苦しい思いをします。
その不幸から救うためですから、願掛けは叶いません。
⑤ちょっとだけ変更したほうが成功する、幸せになれる ~Eさん~
これは、違う所属事務所のほうがいいことを教えてくれる「叶わない」です。
所属事務所を変えてオーディションを受けると合格します。
そちらでは、大事に育ててもらえるし、効果的な売り込みをしてもらえるため、大成功につながります。
もしくは、路線を変えて違う役柄のオーディションを受けたほうがいいと教えてくれています。
清純派女優ではなく、味のあるコミカルな演技をする路線のほうがいいという、アドバイスの「叶わない」です。
こちらだと一生、重宝されるので、変更してはどうか? というお知らせなのです。
「なんとしてでも叶えたいお願いなのに! 神様はどうしてお願いを聞いてくれないの!」と、怒ったり、絶望したりする前に、〝ちょっと考えてみる〟ことが大切です。
願掛けが叶わないのは、①以外、すべて本人のためです。
そして、④以外だったら、それぞれに解決方法があります。
さて、ここで、最後に、私の息子の実例です。
息子は高校受験に失敗しました。
夢を持って受けた、第1志望校は不合格だったのです。
これには、本当に驚きました。
ありえない、とまで思いました。
成績も悪くなかったし、合格が確実という圏内にいて、私の実家には太宰府天満宮から来ている神様もいるのです。
受験に敗れた息子は、ショックからか、描いていた未来の希望をそこで捨てました。
それからやさぐれて、勉強をまったくしなくなりました。
大学には行かず、専門学校に進み、社会に出ました。
専門学校で学んだことを生かす業種で就職すればよかったのでしょうが、全然違う仕事に就いた息子は、ここから苦労をしました。
学歴がないので、屈辱を味わい、悔しい思いをしたようです。
息子には、会社員としての出世の道はありませんでした。
ここまでなら、高校受験を失敗したせいで、人生がむちゃくちゃになった、と言っても過言ではないかもしれません。
神様が第1志望校を落としたせいで……と、信仰がなければ、神様を恨むところです。
私は、ここで息子に、学歴がないのは仕方がない(高校で勉強をしなかった自分のせいです)、
成功をしたいのだったら、自分の力でなんとかするしかないよ、と、繰り返しアドバイスをしました。
自分で何かをするために、学歴がないのかもよ? とも言いました。
息子は一念発起し、そこから変わりました。
現在、息子は会社を設立しており、ビジネスを頑張っています。
収入も、驚くほど、大幅に増えました。
高校受験を失敗したおかげで、今の息子がいます。
もしかしたら、生まれる前に、会社経営者として生きていく予定を立てていたのかもしれません。
だとしたら、高校受験の時に息子が描いていた夢は、人生計画とは異なります。
何が幸運なのかは、人生が終わってみないとわかりません。
その時の判断で、「どうして不合格にしたのですか!」と、神仏に文句を言いたくなるのもわかります。
けれど、ひとつだけ、確実に言えることは「神仏は間違えない」ということです。
叶わなかった願い事は、叶わないほうがいい、ということもあるのです。
願掛けが叶わなかったら、落ち込んだり、悲しんだりするのは当然です。
でも、その落ち込みが一段落したら、冷静に〝ちょっと考えてみる〟ことが、人生を好転させる何かにつながるかもしれません。
ちょっとした願掛けの修正をしてみたり、同じ願掛けで何回か通ってみたり、山岳系神様のところに行ってみたりと、あれこれやってみることも大事かと思います。
それでも叶わない……という方には、「神仏は間違えない」ということを、お伝えしたいです。
それがわかるのは、10年後、20年後かもしれません。
もしかしたら、あちらの世界に帰った時かもしれませんが、
「ああ、なるほど~」と、わかる時が〝必ず〟来ます。
そしてそこには、深く納得できる、正当な理由があるのです。
というわけで、長々とお伝えしてきたこのシリーズは本日で終了です。